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まっそん アンドレ・マッソン
1896年、フランス、バラニーに生まれる。1907年から14年にかけて、ブリュッセルの国立美術アカデミー、美術工芸学校、パリのエコール・デ・ボザールなどで学ぶ。パリではキュビスムにふれる。またパウル・ボーダンの下でフレスコ画を学ぶ。1914年、エコール・デ・ボザールを出て、壁画の研究のため北イタリアに旅行する。第一次世界大戦中、1915年に従軍するが負傷などで18年に除隊、20年詩人マックス・ジャコブと出会い、モンマルトル界隈で多くの画家や画商たちと交流する。1922年ダダに刺激されるが、運動には参加しなかった。この頃、「文学」誌上でブルトンらにより行われていた前衛的な活動に興味を持つ。1923年、カーンワイラーの画廊でピカソ、ブラック、ドラン、グリス、ヴラマンクらと参加する。同年の末、オートマティックなドローイングの実験を始める。1924年、シュルレアリスムのグループに参加することになり、オートマティスム(自動筆記)に基づく絵画に積極的に取り組み、シュルレアリスム初期の代表的な画家となった。1941年、ブルトンと共にマルティニク島経由でアメリカに亡命、45年には再びパリに戻った。(「亡命者の奇跡 アメリカに渡った芸術家たち」図録 1993年)
カテゴリー:作家
クロッキーとは?【 美術用語 】 短時間のうちに、鉛筆、コンテ、木炭などで写生した絵、または素描のこと。速写、あるいはスケッチともいわれる。これは、作品制作の途中で、作家がその着想や閃きを、簡単な材料でひとまず客観化するために、その形態の骨子を描き留めておこうとするときに描かれる。輪郭が重要であることは言うまでもないが、陰影や色彩などを多少伴うことがある。クロッキーは、作品完成のための準備作業の産物ではあるが、作家の創造意欲が最初に形態となって示されるため、生き生きとした創造の営みに、より直接的に触れることのできるものだと言われている。線画と混同されやすいが、線画は輪郭を基調とする絵画を意味するものであり、区別されねばならない。 |
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