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たんぎー イヴ・タンギー
1900年、フランス、パリに生まれる。1918年から19年にかけて、商船の船員としてアフリカや南アメリカをまわる。その後、徴兵などを経手、1923年正規の美術教育を受けないまま絵を描き始め、デ・キリコの絵や「シュルレアリスム」誌の影響を受け、25年からは詩人のプレヴェールと共にシュルレアリスムのグループに参加する。1930年代に入るまでには、少し有機的であいまいな形が夢幻的な風景の中に置かれているような、独自の作風を確立する。ヨーロッパに於いて、ファシズムが勢力を増すにつれて、彼もまた政治的な危機を感じ始める。1930年代半ば頃から、パリを去りたいと思っていたタンギーは、パリで出会ったアメリカ人女性、画家のケイ・セージと39年アメリカに亡命した。アメリカでもシュルレアリスムの仲間と交流誌、1942年の「亡命芸術家展」(ピエール・マティス画廊)やシュルレアリスム国際展である「ファースト・ペーパーズ・オブ・シュルレアリスム」展などに出品する。その作風は、基本的には幻想的なリアリズムをたたえているが、アメリカ時代は垂直性が増し、色使いが激しくなった分、詩的な魅力が欠けたと評されることもある。(「亡命者の奇跡 アメリカに渡った芸術家たち」図録 1993年)
カテゴリー:作家
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カンディンスキーとは?【 作家名 】 1866年ロシアに生まれる。1944年没する。モスクワ大学で法律と国民経済学を研究したが、1896年ミュンヘンに移ってシュトゥックについて絵を学び、ユーゲントシュティール、印象主義、ロシア民芸の影響がつよい作品を制作した。1909年「新芸術家協会」を設立。翌年水彩画による最初の抽象画を制作。この頃『芸術における精神的なもの』を執筆。1912年『ブラウエ・ライター(青騎士)』誌を刊行。1914年ロシアに帰り、革命後モスクワ大学教授となる。1921年ドイツに戻り、1922年から33年までバウハウスで教鞭をとった。1933年パリに亡命。作風は、1910年代は激しい色と形による「ドラマティックな時代」、20年代は「コンポジション時代」から「円の時代」へと移行し、晩年は「具体芸術の時代」へと展開した。ミュンヘンのレンバッハ画廊、パリのポンピドゥ・センター、ニューヨークのグッゲンハイム美術館に主なコレクションがある。抽象絵画の創始者として、20世紀美術にかけがえのない足跡を残した。 画面右にこのキーワードの再検索結果が表示されています。そちらもご覧ください。 |
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