1900年、フランス、パリに生まれる。1918年から19年にかけて、商船の船員としてアフリカや南アメリカをまわる。その後、徴兵などを経手、1923年正規の美術教育を受けないまま絵を描き始め、デ・キリコの絵や「
シュルレアリスム」誌の影響を受け、25年からは詩人のプレヴェールと共に
シュルレアリスムのグループに参加する。1930年代に入るまでには、少し有機的であいまいな形が夢幻的な風景の中に置かれているような、独自の作風を確立する。ヨーロッパに於いて、ファシズムが勢力を増すにつれて、彼もまた政治的な危機を感じ始める。1930年代半ば頃から、パリを去りたいと思っていた
タンギーは、パリで出会ったアメリカ人女性、画家のケイ・セージと39年アメリカに亡命した。アメリカでも
シュルレアリスムの仲間と交流誌、1942年の「亡命芸術家展」(ピエール・
マティス画廊)や
シュルレアリスム国際展である「ファースト・ペーパーズ・オブ・
シュルレアリスム」展などに出品する。その作風は、基本的には幻想的な
リアリズムをたたえているが、アメリカ時代は垂直性が増し、色使いが激しくなった分、詩的な魅力が欠けたと評されることもある。(「亡命者の奇跡 アメリカに渡った芸術家たち」図録 1993年)