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まてぃす アンリ・マティス
1869年フランスに生まれる。1954年没する。はじめは法律を学ぶが、まもなく画家を志す。22歳からパリでギュスターヴ・モローの指導を受け始める。この頃、ルオー、マルケ、ピサロらと知り合う。また、ルーヴル美術館で名作の模写を多数行う。1903年のサロン・ドトンヌ設立に参加する。1905年の同展では、ドラン、ヴラマンク、ルオーらと共に、その大胆な色彩と激しい筆致が注目を集め、半ば嘲笑を込めて「フォーヴ」と呼ばれた。1909年にロシアのシチューキン家のために大作〈ダンス〉を、また32年にはアメリカのバーンズ財団のために壁画〈ダンス〉を制作するなど、各地で活躍する。また1921年からは、パリとニースを往復する生活を送る。1940年のパリ陥落の後、ブラジルの渡航を試みるものの南仏に留まる。戦後も、切り絵、挿絵本、タピスリーなど幅広い活動を続け、特に南仏ヴァンスの礼拝堂の装飾は、彼の才能の集大成と言われる。20世紀美術においてピカソと匹敵する成果を残した一人といえるだろう。
カテゴリー:作家
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カールとは?【 作家名 】 版画家、版画出版家、版画商。1728年アカデミーの会員となる。リゴー、ルモワーヌ、ヴァトー、シャルダン、グルーズなどの肖像画、歴史画、神話画などにもとづく版画作品を得意とし、当時のもっとも優れた複製版画家の一人となる。単なる複製制作者ではなく、解釈家と評された。ジャック・フィルマン・ボーバルレなど多くの優れた弟子も育てている。(「近世フランスの絵画と版画−東京富士美術館コレクションによる」図録 2002年) 画面右にこのキーワードの再検索結果が表示されています。そちらもご覧ください。 |
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