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マリアンヌ・ディアーニュ=シャネル

パリでセネガル人の父とフランス人の母の間に生まれる。1973年パリ国立高等装飾芸術学校を卒業後、さらに同応用美術学校に学ぶ。この間フランス学士院よりデルマ賞(1973)、レキィ・ガルニエ賞(1976)を受賞、また80年には仏外務省派遣によりイタリアに滞在した。 このように、ディアーニュ=シャネルの経歴を並べてみると、父親がセネガル人であるということ以外には、「アフリカ」の影はどこにも見当たらず、むしろ純然たるフランスの作家のように思える。たしかに80年代の中頃までは、フランス人になり切ろうとしていた節があるが、同後半から、彼女は自己の中の「アフリカ」を正面切って見据え始める。そんな彼女の内面的変化をはっきりと物語っている。〈何かが変わる〉という、1989年パリのグループ展に出品された作品のタイトルも、こうした点から何やら示唆的である。<アフリカの帰還>、<小さなアフリカ>など、この時期以降に創られた作品のタイトルは、そんな彼女の内面的変化をはっきりと物語っている。「セネガル芸術家サロン」(1989)への出品など、ダカールでの発表が多くなるのもこの前後からだ。人物であれ動物であれ、一見童画風の彼女の絵には私的な物語が色濃く塗りこめられている。それは、内なるアフリカと向き合うことを通して抜き出された彼女自身の自画像といってよい。今回出品の2点の板絵も、一片の躇いもなしに人間を真正面から捉えているが、その眼差しは敵意を帯びた凝視のそれではなく、対象を包み込むような優しい眼差しである。齢を重ねて、自己を肯定的に見ることができるようになったディアーニュ=シャネルのある種のゆとりが、そこには漂っている。(「同時代のアフリカ美術」図録 1996年)


カテゴリー:作家
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幸野楳嶺とは?【 作家名 】

京都に生まれる。名は直豊、字は思順、幼名角三郎。旧姓は安田。父の実家の姓を名のる。はじめ円山派の中島来章に師事するが、明治4年(1871)師の許しを得て、四条派の塩川文麟につく。明治10年(1877)文麟の没後は、四条派を率いた。京都府画学校設立の建議書を知事に提出。明治13年(1880)の同校創立に際して、北宗科出仕となるが、翌年退職し私塾を開く。第一回内国絵画共進会で褒状を、第二回展で銀章を得たのをはじめ、パリ万国博覧会やシカゴ万国博覧会などに出品。また、京都青年絵画研究会、京都美術協会の設立に尽力。京都府画学校の校制改革で再就任し、同校教授、教頭となつた。明治26年(1893)帝室技芸員。菊池芳文竹内栖鳳都路華香、谷口香●(こうきょう)、上村松園などを育てた。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年)

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