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さう゛ぃにゃっく レイモン・サヴィニャック
パリに生まれる。1922年、学校をやめ、版下デザイナーとしてパリ運送社に入社。夜には工業デザイナーの講座を受講。25−26年頃、広告アニメ・デザイナーのロルタックとともに、ビュプリ=シネ社でデザインの仕事を始める。1928年からミラマール、アシャール、メトロポール=ピュピュリシテといったいくつかの広告制作会社で修行をつんだ。33年には書記のポスターを何点か制作している。35年にはカッサンドルの助手になり、38年まで協同作業を行う。41年にはロベール・ゲラン広告会社を知り、「ロレアル」の創立者ウジェーヌ・シュレールがつくった広告企業連合を紹介された。彼の名が本当に知られるのは〈ダル・ビール〉を制作した1947年頃のことである。さらにポスター作家ベルナール・ヴィルモとボザール画廊で共同で開いた展覧会で注目を集めた。〈医学の夜〉、〈大学聖週間〉等の作品で1951年にポスターグランプリを、〈アスプロ〉でマルティーニ・グランプリを受賞。また、米国の雑誌『ライフ』主催のポスターコンクールに入選。その他、舞台美術のデザインも行う。(「黄金時代のポスター芸術」図録 1998年)
カテゴリー:作家
ピカソとは?【 作家名 】 1881年スペインに生まれる。1973年没する。幼少時から卓越したデッサン力を示し、ダ・グァルダとバルセロナの美術学校でアカデミックな技法を学ぶ。1900年から04年までパリとバルセロナの間を往復し、04年からはパリの長屋、洗濯船(バトー・ラヴォワール)に住んでエコール・ド・パリの作家達と交わる。1902年頃から抒情的な青の時代に入り、続いてバラ色の時代を経て、07年に〈アヴィニヨンの娘たち〉を制作、ブラックとも出会う。キュビスムの幕開きであった。1918年頃から新古典主義的傾向に変わり、25年頃からはシュルレアリスムをとり入れる。1933年には雑誌『ミノトール』創刊に参加、37年にはスペインのフランコ政権に抗議して〈ゲルニカ〉を制作した。戦後は〈画家とモデル〉のシリーズや過去の巨匠に題材をとった作品も作り、また日記のように毎日大量の版画を制作した。彫刻、セラミック、舞台装飾、ポスターなどの分野にも手をひろげた。20世紀美術の最高峰の1人といえるだろう。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年) |
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