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さう゛ぃにゃっく レイモン・サヴィニャック
パリに生まれる。1922年、学校をやめ、版下デザイナーとしてパリ運送社に入社。夜には工業デザイナーの講座を受講。25−26年頃、広告アニメ・デザイナーのロルタックとともに、ビュプリ=シネ社でデザインの仕事を始める。1928年からミラマール、アシャール、メトロポール=ピュピュリシテといったいくつかの広告制作会社で修行をつんだ。33年には書記のポスターを何点か制作している。35年にはカッサンドルの助手になり、38年まで協同作業を行う。41年にはロベール・ゲラン広告会社を知り、「ロレアル」の創立者ウジェーヌ・シュレールがつくった広告企業連合を紹介された。彼の名が本当に知られるのは〈ダル・ビール〉を制作した1947年頃のことである。さらにポスター作家ベルナール・ヴィルモとボザール画廊で共同で開いた展覧会で注目を集めた。〈医学の夜〉、〈大学聖週間〉等の作品で1951年にポスターグランプリを、〈アスプロ〉でマルティーニ・グランプリを受賞。また、米国の雑誌『ライフ』主催のポスターコンクールに入選。その他、舞台美術のデザインも行う。(「黄金時代のポスター芸術」図録 1998年)
カテゴリー:作家
三宅克己とは?【 作家名 】 1874年徳島県に生まれ、1954年に没した。旧徳島藩江戸留守居役だった父が、蜂須賀家の養育係となったため、6歳のとき家族で東京に移住。近所には、洋画家・高橋由一の画塾があり、絵に関心をもつようになったと言われている。大野(曽山)幸彦、原田直次郎に洋画を学ぶが、来日中のイギリス人画家ジョン・ヴァーリー(バーレイ)の水彩画に感動し、水彩画家を目指すようになった。1897年、アメリカに渡り、一時イェール大学付属美術学校でも学んでいる。翌年ロンドンに移り、フランスやベルギーを経て帰国。その後、日本各地はもちろん、ヨーロッパ、アメリカ、中国へたびたび出かけ、風景画を描き続けた。1899年白馬会会員。同会の解散後は、光風会の創立に参加。1907年に文展(文部省美術展覧会)が開設されると、第一回展から出品し、以後、文展や帝展(帝国美術院美術展覧会)、新文展、戦後の日展で活躍。1915年の文展で2等賞(最高賞)を受賞。翌年から無鑑査となり、帝展、新文展では審査員もつとめた。水彩画を独立した洋画の一分野ととらえ、透明水彩の繊細な表現を追求するとともに、水彩画に関する著書を多数刊行するなど、水彩画の普及に尽力した。昭和初期には、写真に関する啓蒙書も執筆。晩年の1951年、日本芸術院恩賜賞を受賞している。 |
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