![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
でゅふぉー クレマンティーヌ=エレーヌ・デュフォー
風俗画家、イラストレーター、装飾美術家。1899年、アカデミー・ジュリアンで画家プーグロー、ロベール=フルリィ、ガブリエル=フェリエに学ぶ。90年、サロンに肖像画を出品。95年、〈水切り〉でマリー=バシュキルツェフ賞受賞。1903年、サロン・ドトンヌの創立会員になる。まず、自然主義絵画に傾倒、ついで象徴主義象徴主義運動と装飾的絵画に方向転換する。彼女の活動は絵はがきの制作、本のイラスト、家の装飾デザイン等多岐ににわたっている。(「黄金時代のポスター芸術」図録 1998年)
カテゴリー:作家
戸張孤雁とは?【 作家名 】 1882年東京に生まれる。1901年洋画研究のため渡米し、06年に帰国する。1910年太平洋画会研究所彫塑部に入門し、同年第4回文展に「をなご」を出品する。1916年再興第3回院展に「ムスメ」「若き男の像」他を出品する。1917年には日本美術院同人となる。1927年東京で死去。アメリカで苦学をしながら、洋画、デッサンを学んでいた戸張は、ニューヨークのナショナル・アカデミーで荻原守衛と知り合ったことで、彫刻家への道を進むことになる。ロダンの作品からも多大な影響を受け、生命感にあふれた大胆なデフォルマシォンを特徴とする象徴性の高い作品を制作した。また版画家としても活躍し、1919年には山本鼎、織田一磨らと日本創作版画協会を創立し、「創作版画と版画のつくり方」を刊行した。(「日本近代彫刻の一世紀 写実表現から立体造形へ」図録 1991年) |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||