![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
じょるじゅ ど ふーるじょぜふう゛ぁんすりゅいてーる ジョルジュ・ド・フール(ジョゼフ・ヴァン・スリュイテール)
絵画、素描、版画、ポスター、インテリア・デザイン、家具、タピスリー、ステンドグラス、陶磁器、織物、銀細工、ガラス細工、イラストレーション、演劇の衣裳と舞台装置、メニュー、招待カード、名刺、広告用封筒等、様々なものを制作する。アール・ヌーヴォーを代表する作家の一人。ベルギー人の母とオランダ人の建築家である父との間にパリに生まれる。1870年の戦争で家族と共にオランダに逃れる。89年パリに戻る。初めは主に新聞類の仕事を行う。94年から応用美術の方へ向かい、瓶具のアール・ヌーヴォー画廊、「現代職人」等、種々の建物の仕事をした。1910年、H.G. イベルスと共同で日常の衣裳や演劇の衣裳を創るアトリエを開く。1922年、鉄工芸を専門とするシュヴァルツ工房のディレクターとなる。25年の服飾美術博覧会では、ルーベ・トゥールコワン館を担当。高齢にもかかわらず、30年代以降も様々な仕事を行う。(「黄金時代のポスター芸術」図録 1998年)
カテゴリー:作家
キルヒナーとは?【 作家名 】 ウィーンでエレガントな有閑マダムや高級娼婦を描く絵描きとして出発、その後、1900年頃にパリへ移住、肖像画家として活動するほか、雑誌(特に「ラ・ヴィ・パリジェンヌ」)や単行本の挿絵を描いた。一時ロンドンにも滞在し、そこで「ザ・スケッチ」の挿画を描いていた。世界大戦勃発後、彼はニューヨークへ行き、主に女性を描く肖像画家として活動した。キルヒナーが知られているのは、サロン、バー、ナイトカフェなどにたむろして、一種エロティックな仕草をしたがる刺激的な女性たちの絵描きとしてであり(「玩具」、「サルタンの妃」、「青春」、「引っ張られるアモール」)、また、‘キルヒナー・ガール’の呼び名でポピュラーになったモンマルトルのやくざ女の代弁者としてである。1904年、彼はミュンヒェン水晶宮の展覧会に「ウェスタの処女」を出品した。フランス美術協会のパリ展には、1906年、婦人肖像画、1913年、「釈放」、1914年、「御託宣」を出品した。また、パリのユーモリスト展にも多数の水彩画を出品した。彼の水彩画のカラー複製は、特にマックス・ヘルツベルク書店(ウィーン)から出版されている。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||