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ど ろすく(だにえる とぅーるーど) ド・ロスク(ダニエル・トゥールード)
マンシュ県のサン=ローで生まれる。カンで法律を学ぶ。パリで修了し、セーヌ=エ=オワーズ県の知事官房の職員となる。アカデミー・ジュリアンには趣味で通う。ペンネームであるド・ロスクは、生まれた町の近くにある「シャン・ド・ロスク」という村の名からとった。1903年、ゴシップ紙に俳優のスケッチを描いて、この世界に入った。その後、演劇辞表に風刺漫画を連載する。1906年頃、絵で生活するために知事官房をやめている。漫画協会の会員となり、1907年から10年にかけてマンジで開かれた芸術サークル展と人間喜劇展に出品している。10年にはパリに印刷所「アトリエ・ロスク」を設立。アトリエの作品の大半は演劇と映画に関するものであった。(「黄金時代のポスター芸術」図録 1998年)
カテゴリー:作家
浅井忠とは?【 作家名 】 東京都に生まれる。1863年父の死去のため家督を相続し佐倉に帰郷。翌年佐倉藩の絵氏黒沼槐山に花鳥画を学ぶ。1873年上京し、箕作塾で英学を学び、1876年国沢新九郎の彰技堂に入門。初めて西洋画の初歩を学び、工部美術学校に入学してフォンタージに師事する。1878年フォンタネージの帰国後、後任のフェレッティを不満として美術学校を退学。1899年明治美術界を創立。1898年東京美術学校教授となる。1900年渡仏し、パリ近郊のグレーなどに滞在。1902年パリを立ち、イタリア、ドイツ、イギリスを巡歴して帰国。東京美術学校を辞し、京都工芸学校教授に就任して京都に移る。1903年自宅に聖護院洋画研究所を創設。1906年関西美術院を開設し、初代院長となる。(「みづゑのあけぼの 三宅克己を中心として」図録 1991年) |
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