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なたん (じゃっく がらもん) ジャック・ナタン(ジャック・ガラモン)
時折、ナタン=ガラモンと二つの姓を合わせてサインする。広告クリエーター、画家。国立高等装飾美術学校で学んだ後、3年間装飾美術家ポール・ブラントのインテリア・デザインと宝石細工のアシスタントを務める。1931年から33年の間、雑誌『今日の建築』のデザインとレイアウトの責任者を務める。並行して1933−34年、サロン・ドトンヌに出品。39年までは広告や展示会場の設計に従事。38−39年、国立装飾美術学校のグラフィック・アートの教授に任命され、45年以降はフリーのグラフィック・デザイナーとして出版社や文化関係の組織の仕事をした。48年、雑誌『フランス・スタイル』のアート・ディレクターになり、同年ユネスコの後援によるガリエラ美術館での「人間の権利」についての展覧会を企画、そのポスターをデザインした。50年、スイスのドナルド・ブラン、フリッツ・ビューラー、フランス人のジャン・コラン、ジャン・ピエール=ル・ドゥーらと国際グラフィック・デザイナー連盟を設立。55年には装飾美術館で展覧会を開いた。56年、鉄鋼応用技術オフィスに技術顧問として入社。同年から68年まで装飾美術学校の授業を受け持つ。58年、ブリュッセル万博のフランス館にフレスコ壁画を制作。62年、全国装飾芸術家協会の会長になる。(「黄金時代のポスター芸術」図録 1998年)
カテゴリー:作家
表現主義とは?【 美術用語 】 20世紀の初頭にドイツでおこった芸術運動。印象主義への反動と考えられる。つまり作品は自然が人間に入ってくる印象(impression)ではなく、人間の精神的なものの外への表現(expression)である、という考え方に立っている。1905年にドレスデンで「ブリュッケ(橋)」というグループが結成された。キルヒナー、シュミット=ロットルフなどの他、ノルデも短期間参加した。原色を多用した激しい色の対比や、線そのものの表現力を生かしたその画面は、抑制に反抗する。創造への衝動をあらわしている。1911年にはキュビズムをとり入れた表現主義的な活動をしたグループ「ブラウエ・ライター(青騎士)」が結成された。短期間の活動ではあったが、マルク,カンディンスキー,クレーらを輩出した。そして第一次世界大戦後は、これらの画家たちはそれぞれ独自の活動を展開していく。なお、フランスにおける表現主義的な活動は、フォーヴィズムと呼ばれ、日本の近代絵画にも影響を与えた。 |
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