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るぽー シャルル・ルポー
デザイナー、ポスター作家。ニースの生まれ。1911年頃、リヨンの美術学校で美術の基礎とリトグラフの実技を身に付けた。15年、戦争で負傷、スイスの両親のもとに移り6年間とどまる。ドイツのリトグラフにつながるダイナッミクなスイス派を注意深く観察し、いくつかの印刷所で石版画家として働くことで、デザインの素養を完成させた。1923年、版画家ドゥヴァンベに請われて『優品新聞』や『フェミナ』の仕事をするため、パリに戻る。1924年から、有名な広告業者であったダムール兄弟がルボーの専属代理店「美しいポスター」を設立した。ルポーは10年間で200点近くのポスターを制作した。1936年、サン=ラファエル社の広告課長マルク・オージェと出合い、50年代までこの会社との関わりが続いた。(「黄金時代のポスター芸術」図録 1998年)
カテゴリー:作家
川端龍子とは?【 作家名 】 1885年和歌山県に生まれる。本名昇太郎。1895年(明治28)、一家で東京に転居する。1904年に白馬会洋画研究所で、6年には太平洋画会で洋画を学び、7年の東京勧業博覧会、第1回文展にそれぞれ入選し、翌年の第2回文展にも入選する。1913年(大正2)洋画研究のためにアメリカに留学するが、ボストン美術館等で東洋・日本の古美術に感銘を受け、半年の滞在ののち帰国、日本画に転向し、自然主義を標榜する平福百穂らの无声会に参加する。翌1914年東京大正展覧会で初の日本画入選。1915年には、平福百穂、小川芋銭らと珊瑚会を結成する。また同年の第2回再興院展に入選、第3回展で樗牛賞を受賞して院友となり、1917年の第4回展で同人に推挙された。以後、1928年(昭和3)に脱退するまで院展を活動の場とした。1929年に青龍社を創立、主宰する。1959年には文化功労者となり文化勲章を受章。その作品は、洋画研究の成果を反映させた力強い表現力と大胆でスケールの大きい画面構成を特色としている。(「大正の新しき波 日本画1910−20年代」図録 1991年) |
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