T R A U M   V O N   W I E N    G R A P H I S C H E   K U N S T E   I N   W I E N   U M   1 9 0 0

   

 

4. 印刷アートの面白さ

 

 ウィーンから国内に届いた出品作を広げてみて、初めて気付いた点が一つあります。印刷された絵本であれカレンダーであれ、そのどれもが紛れもなく「版画」だということに今さらながら驚いたのです。ポスターや装丁デザインの黄金時代は一方で、というより当然のことながら版画の時代でもあり、中でも木版画や石版画はウィーンの作家たちをとりこにしたようです。日本の木版画かと見まがうようなものさえあります。

 もちろんこの時期の大きな流行としてジャポニスム(日本趣味)があったことは無視できませんが、作家たちはその図柄や自然へのまなざしにとどまらず、紙や版材に対する感覚すらウィーン流に解釈し楽しんでいたふしがあるのです。中にはまだまだ未熟な試し刷りなども含まれていますが、刀や糊や木と紙の風合いに挑む熱気がひしひしと伝わってきます。それはもちろん造形の技術的な話なのですが、決してそれだけではなく、見る人の手にわたる図像を作っているという熱意―言い換えればヴィジュアル・コミュニケーションに対する信頼を、そこに見出せるような気がしました。美しく写真印刷された今日の研究書や画集を見ているだけでは、絶対に感じることのできない息づかいが実物には宿っているのです。

 何年か前になりますが、「ホフマンとウィーン工房」展の準備を兼ねて、ウィーン郊外のプルカースドルフにホフマンの建築をたずねました。再生工事中とはいえ、内装もはげおちた廃屋同然の近代建築に寒々とした覚えがあります。それでも、何かいわく言い難いものが屋内には漂っていて、それがデザイナーの気配なのだと気付くのに少し時間が掛かりました。白い壁だけで構成された空間に、うっすらと残る線状の装飾が、作り手と受け手の間を確固としてつなぎとめていることを直感したのです。

 世紀末(20世紀の)をすでに体験した私たちにとって、19世紀末ウィーンもそろそろ遠い存在になりつつあります。しかし残された作品、それも現物に新鮮な視線を向ける限り、例えばポスターや絵本やカレンダーが、街角や書斎で受け手とともに呼吸していた様子へと、想像をふくらませることはできると思うのです。印刷図版では分からない「印刷」アートの面白さを、ぜひあなたも体験して下さい。

(主任学芸員 竹内利夫)

「徳島県立近代美術館ニュース 45」
(2003年4月号)より転載