徳島県立近代美術館
学芸員の作品解説
鳥・猫・子供・魚
1954年
油彩 キャンバス
80.3×65.2
猪熊弦一郎 (1902-93)
生地:香川県
データベースから
猪熊弦一郎鳥・猫・子供・魚
他の文章を読む
作家の目次 日本画など分野の目次 刊行物の目次 この執筆者の文章
他のよみもの
徳島新聞連載1990-91

猪熊弦一郎 「鳥・猫・子供・魚」

吉川神津夫

猪熊弦一郎の画歴は、1926年に帝展に初出品してから93年に亡くなるまで70年近くにおよびます。それは、前半の人間がモチーフの中心であった具象絵画の時期と後半の抽象絵画を描いた時期に大きく分けることができます。そして、今回紹介する1954年に制作された<鳥・猫・子供・魚>は、その過渡期にあたる作品です。
まず、ここに至るまでの猪熊の制作について、見ていきます。
猪熊は1938年から40年までフランスに渡り、アンリ・マティスに師事しました。この時期の作品はマティスをはじめとする、当時のヨーロッパの画家たちの影響が色濃く見られます。第二次世界大戦の勃発により帰国。戦時中には、軍の依頼により記録画の制作を行っていました。そして、戦争が終わるとすぐにマティス風の作品が復活するのです。しかし、その時期は長く続きません。1950年代に入ると、作品は次第に抽象化していったのです。
<鳥・猫・子供・魚>でも、子供たちはかなり抽象化して描かれています。また、鳥の羽や魚の鱗も線だけで描かれているのです。このことは、猪熊とって「自然の模倣ではなく、新しい人工美を自然の豊富な素材に励まされ、発見していく」ことだったのです。
また、この作品に用いられている色彩は白、黒、グレーが基調になっており、黒とグレーの色面が背景になっています。この色面に鳥・猫・子供・魚がそれぞれ配置されることによって、この作品は成立しているのです。実際、猪熊は次のように述べています。

絵というものは、どこまでも均整(バランス)のなかにたつている。即ち『形の広さ』 『つりあひ』 『色面のバランス』が絵を支え、作家はこれら諸要素の緊密さを探すために、絶えざる訓練を繰り返すのである。(原文ママ)

この文章が書かれたのは1949年。ちょうど、猪熊がマティス風の作品から離れていった時期に当たります。同じ文章の中で、「作家は常に自分の美を求めている」と記されてことが、そのことを裏付けているようです。
しかし、この作品は単に生き物の形の均整をとることで完結しているのでしょうか。一方で、子供たちが鳥や猫を抱いているさまは、対象に対する愛着を感じさせるものです。また、この時期の猪熊の作品の特徴として、人と猫を組み合わせて表現することでした。この作品の中で、猫の扱いは控えめです。しかし、敢えて登場させているのは、猫好きの猪熊の気持ちを託していると考えることもできます。猪熊にとっては、対象を抽象化しても、それに対する思いは切り離すことはできなかったのではないでしょうか。
*文中の猪熊の言葉は 「色と形 」『別冊アトリヱ第1集』 アルス 1949年10月 pp.41‐47より引用したものです。

徳島県立近代美術館ニュース No.115 September.2020 所蔵作品紹介
2020年10月1日
徳島県立近代美術館 吉川神津夫