徳島県立近代美術館
学芸員の作品解説
昔の顔
1958年
油彩 キャンバス
100.0×80.3
山口薫 (1907-68)
生地:群馬県
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山口薫昔の顔
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山口薫 「昔の顔」

江川佳秀

 山口薫は、1933年フランスから帰国しました。翌年、村井正誠、長谷川三郎らと美術グループ「新時代洋画展」を結成したあと1937年、自由美術家協会の創立に参加します。そのころはつぼやひもをモチーフとした作品を発表しています。そこでは実際の質感や量感は省略され、色彩の響き合いや、さまざまな線の対比が生み出す純粋に造形的な画面構成が主眼となっています。具象とはいえ、当時盛んであった抽象絵画への近さを感じさせます。
 戦争中は一時期、郷里に退き、画壇から遠ざかります。戦後は鳥や獣、木、女性などをモチーフに、情感のこもった詩的な作品を発表します。例えば「昔の顔」=展示中=は、はにわの女性像をモデルにした作品といわれます。平板に塗り込められた顔の灰色が背景の灰色や黄色の色面と静かに響き合っていて、内的な想像力によって描かれた作品といえます。生前、山口は「詩が自分を支えてくれる」あるいは「芸術の本質は人間だ」と語ったといいます。対象に対する温かい思いが伝わってくる作品群だといえます。
 小山田二郎は戦前「アニマ」の結成に参加するかたわら、美術文化協会展に出品します。そのころの作品は、当時の展覧会評や図版によると、シュールレアリスムの影響が濃厚であったようです。やがて戦況が悪化し、多くの画家が戦争画の制作に駆り出されるようになりました。小山田は画壇に背を向け、発表のあてのない孤独なエスキースを繰り返し描くようになります。戦後の作品によく見られる奇怪な鳥や人物が画面に現れるのはこのころで、戦後は自由美術協会会員となって、薄暗い画面にうごめく異形の生き物を発表するようになります。小山田の作品も「夜」が現在、県立近代美術館に展示されていますが、不安とか心の奥底の不条理とかを見すえた、ある意味での自画像だといえるでしょう。
 山口、小山田の二人は戦後にわかに脚光を浴び、サンパウロ・ビエンナーレなど各種の国際展に出品を重ねるようになります。二人は、抽象とシュールレアリスムという二つの新しい芸術思潮の影響を受けた前衛的な群小美術グループの中で育ち、戦後間もない時期の画壇を担った作家といえるでしょう。ほかに吉原治良などもこのような作家といえますが、また別の機会にとり上げたいと思います。
徳島新聞 県立近代美術館 30
1991年5月1日
徳島県立近代美術館 江川佳秀