徳島県立近代美術館
学芸員の作品解説
椿貞雄 弟茂雄像
弟茂雄像
1915年
油彩 板
45.5×33.4
椿貞雄 (1896-1957)
生地:山形県
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椿貞雄弟茂雄像
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椿貞雄 「弟茂雄像」

宮﨑晴子

前を向いてたたずむ少年の肖像が描かれます。作者の椿貞雄(1896-1957)が、自身の弟である茂雄をモデルに描いたものです。
画面には、モデルの瞳の中のきらめく光や、まつげやまゆの毛、顔に受ける微妙な光まで、克明に表現されています。その上で、全体が筆跡のないなめらかな絵肌で仕上げられています。一方、画面上方には英字で、描かれたモデルの名と制作日および作者名が記されています。実は、特徴的なそれらの描写は、作者の椿がそのころ出会った岸田劉生(1891-1929)の強い影響によるものなのです。
椿は山形県に生まれ、幼少から絵に親しみました。芸術の道に進むことを両親に強く反対されていた椿は、学問の学校に進学することを条件に、上京を許されます。ただし本人は親には内緒で、絵の道に進む決心をしていたようです。東京に出て、たまたま岸田劉生の個展を見た彼は、劉生を生涯の師と定め、師のもとで絵を学びます。
当時の画壇が西洋美術の中でもこぞって同時代のフランス美術の動向を取り入れようとしていた時代に、劉生は独特の写実性をもつ15世紀から16世紀ごろの北方ルネサンスの美術に感銘を受け、それらに学んだ作品を多く生み出していました。椿による本作に見られる細密な描写やなめらかな絵肌、異国の肖像画風のサインなどは、北方ルネサンスに学んでいた劉生のスタイルから取り入れたものだったのです。
加えていうと、劉生はこの後も日本の浮世絵、そして中国の宋元画など、過去の作品に学びながら画風を変化させていきますが、椿もそれに付いていくように、大きく作風を変えていきます。その後、劉生が38歳で逝去したため、師を早くに失うこととなった椿は、それを機に渡欧し、かの地の美術を直に学ぼうとするなど、自身の画境を見つけるために作品を描き続けました。
さて、本作に戻りましょう。この作品には、師に追随した作品だという言葉では収めきれない魅力が確かにあります。それは、制作した当時、椿がわずか19歳だったという点に秘密がありそうです。同じ10代の年下の少年であるモデルに相対した椿は、彼の表情に、若い心がもつ将来への希望や悩みなどの複雑な思いを感じ取ったのではないでしょうか。そして同世代の肉親に対する共感をもって、この作品を完成させたように思います。熟練した画技と若い心への共感というおよそ相反した要素が同居する、ふしぎな魅力をたたえた作品であると言えそうです。  
徳島県立近代美術館ニュース No.127 October.2023 新収蔵作品紹介
2023年10月
徳島県立近代美術館 宮﨑晴子