徳島県立近代美術館
学芸員の作品解説
山下菊二 わたしと鳥と音楽と (8)病気のふくろうと御詠歌
わたしと鳥と音楽と(8) 病気のふくろうと御詠歌
1974年
油彩 キャンバス
44.5×33.5
山下菊二 (1919-86)
生地:徳島県
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山下菊二わたしと鳥と音楽と (8)病気のふくろうと御詠歌
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山下菊二 「わたしと鳥と音楽と (8)病気のふくろうと御詠歌」

江川佳秀

画文集『おんがくのほん』(ほるぷ出版 1974年)の挿絵原画として描かれました。『おんがくのほん』は、音楽家や文学者、美術家などが音楽をテーマに絵と文章を寄せた本で、山下はそれまでの人生の節目、節目で記憶に残る8つの音楽を取り上げ、それぞれに挿絵と短いエッセイを添えています。結果として、音楽と絵でたどる山下の半生記となっています。
 幼少期から時代順に並んだ最後の音楽は「追弔和讃」です。これが画文集が刊行された頃の山下の心をとらえていた音楽でした。真言宗の御詠歌で、通夜の席で故人を偲び、その霊を弔うために唱えられます。歌詞に「み仏に すくわれてゆく 身にあらば 思いわずらう こともなく とこしえかけて 安からん」とあり、仏の救済を信じ、仏に身を委ねることを説きます。
 そして「追弔和讃」に添えた挿絵には、菅笠を被り、巡礼の白装束をまとった人たちを描いています。四国巡礼が盛んな徳島の山あいの町に生まれ、真言宗の家に育った山下にとって、「追弔和讃」も白装束の巡礼者も身近なものだったはずです。
ところが挿絵に添えたエッセイを読むと、描かれた白装束の人は巡礼者ではなく、公害病、水俣病の被害者だったようです。水俣湾を中心とした熊本県の八代海沿岸では、1950年代からチッソ水俣工場の廃液に含まれていた有機水銀による健康被害が発生し、その頃は社会的な騒ぎになっていました。社会の無理解のため、被害者が誹謗中傷や差別に苦しむという事態も発生しました。
 被害者たちは、交渉を拒むチッソの社長に面談を求め、白装束に身を包み、1970年のチッソ株主総会に一株株主として乗り込みました。野次で混乱する会場で被害者たちは、一斉に「追弔和讃」を唱えました。仏に身を委ねることを説く「追弔和讃」が、そこでは問題の解決に向かって自ら積極的、能動的に立ち向かう歌となったのです。ニュースで取り上げられ、記録映画にもなったので、山下もその場面を目にしたのでしょう。山下は、それまでの「追弔和讃」と違って、「力強いものを感じ」たとしています。その驚きが、当時の山下の心をとらえていた理由でした。
 戦後の山下は、戦争や部落差別など人権にかかわる様々な問題を社会に訴えかけることを作品制作の目的としました。当然のことながら、水俣病も山下にとって許し難い人権侵害でした。被害者たちが唱える力強い「追弔和讃」を耳にして、山下は自らの活動への思いを新たにしたのでしょう。
画面に描かれているふくろうは、山下が飼っていたふくろうです。その頃は病気のため絵のように首が天地逆転していました。難病、脊髄性進行性筋萎縮症に苦しんでいた山下自身を重ね合わせていたと思われます。ふくろうが菅笠を被っているのは、次々と発生する人権問題の根本的な解消と、それに向けた自らの活動が、長い道のりを行く巡礼に等しいものだという思いがあったのかもしれません。


徳島県立近代美術館ニュース No.119 October.2021 所蔵作品紹介
2021年10月1日
徳島県立近代美術館 江川佳秀