徳島県立近代美術館
学芸員の作品解説
虫撰
1930年頃
絹本着色
93.5×89.0
菊池契月 (1879-1955)
生地:長野県
データベースから
菊池契月虫撰
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菊池契月 「虫撰」

森芳功

 近代の日本画を見ると、しみじみと季節が感じられることがあります。いまもそうでしょうが、床の間のある家では 、季節の移り変わりにあわせたり、ちょっぴり季節を先取りしたりして掛軸の絵をとりかえます。自然のようすと作品の世界が響きあって感じられ、暮らしに潤いが生まれる楽しみ方だといえるでしょう。
 美術館の所蔵作品展でも、控えめながら季節感をつくる工夫をしています。今年(2011年)の秋は、菊池契月の〈虫撰〉を展示していますのでご覧ください。着物姿の若い女性が描かれた作品です。
 画面をよく見てみましょう。きれいに切りそろえられた髪に細い目、小さな口、すっと通った鼻。目鼻立ちは、とても細い筆を使って表されています。彼女は手に球のようなものを持っているようです。何をしているのでしょうか。 球はどのような用途のものなのでしょうか。
 作品の題名は「虫撰」。「むしえらみ」と呼ばれています。今ではほとんど使われない言葉ですが、もともとは平安時代にはじまった貴族たちの遊びのことで、「むしえらび」「むしえらい」ともいいます。虫の鳴声や姿の優劣を競う虫合(むしあわせ)のために虫を選び、美しい籠に入れて宮中に奉ったことを指しています。虫は、儀式ばらず嵯峨野など野外を散策しながら捕ったそうです。宮廷の貴族たちは、植物や動物、文具など、さまざまなものを競い合わせて楽しんだのですが、虫合はそのなかの一つとして、虫の鳴声にちなんだ歌を優雅に詠う遊びともつながっていました。
 題材が「虫撰」なら、女性が手にしている「球」は、細い竹で精巧につくられた虫籠といえそうです。白と桃色の糸 による飾りがその繊細さを際だたせています。そして、虫籠を見る女性の顔が、目を細め、どこか満ち足りた表情をしているのは、鳴声の美しいお気に入りの虫が見つかったからでしょうか。彼女の着物に目をやると、菊をイメージした秋草の図が配されており、虫の季節を演出していることが分かります。この秋草の図柄は、人物の背景にある余白と響き合って、 虫を捕らえた野原のようすを思い浮かべさせてくれるように思います。
 ただ、この作品の女性の服装は、平安貴族の装束でなく桃山風です。小袖のきれいな模様から分かるのですが、日常着とはいえ、小袖が意匠をこらした表着となったのは桃山時代のことだったからです。細い帯もこの時期の特徴を示しています。野外に出て遊ぶ開放的な空気のあった桃山の女性が、虫を捕らえて美しい鳴き声を聞くようすなのかもしれません。
〈虫撰〉は、平安や桃山の人たちに思いをはせながら、秋を楽しむことのできる作品となっています。秋らしい野原の風景を直接描き込まず、虫籠と小袖の文様によって表したところが奥ゆかしく感じられます。
 作者は、明治から昭和にかけて京都画壇の日本画家として活躍した菊池契月(きくち けいげつ 1879-1955年)です。文展(文部省美術展覧会)など権威のある展覧会で受賞を重ね、帝国美術院や芸術院の会員に選ばれた他、現在の京都市立芸術大学の前身となった市立絵画専門学校などで多くの若手画家を育て、校長もつとめました。
徳島県立近代美術館ニュース No.79 October.2011 所蔵作品紹介
2011年10月1日
徳島県立近代美術館 森芳功