徳島県立近代美術館
学芸員の作品解説
幸田暁冶 花売り
花売り
1970年
紙本着色
181.8×130.1
幸田暁冶 (1925-75)
生地:徳島県徳島市
データベースから
幸田暁冶花売り
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幸田暁冶 「花売り」

森芳功

 描いたのは徳島ゆかりの日本画家・幸田暁冶(1925-1975年)です。本名は稔。徳島出身の両親の子として京都市で生まれました。父の春耕(しゅんこう)も日本画家でした。
 暁冶は、京都市立美術専門学校(現・京都市立芸術大学)に学び、1950年代中頃から70年代にかけて、日展や京展などで活躍。実験的な作風と内面表現により、京都画壇の次世代を担うホープと目されました。しかし、幼い頃患った結核とたたかいながらの制作であり、50歳のとき急性肺炎により没しています。
 初期は鳥や動物たちを描きました。ただし伝統的な花鳥画ではなく、油彩用のペインティングナイフを用いた重厚な絵肌の作品。動物たちは悲しみを秘め、生きることについて静かに問いかけています。
 その後、追求したのが人間像です。厚塗りの画面に変わりはありませんが、ときにはエネルギッシュな生命感が爆発するかのような力強さを見せます。猟で仕留めた猪を運ぶ3人の男たちを荒々しい筆致で描いた〈狩猟〉(1964年)、赤いドレスの裾を輪のように回して踊る黒人女性の〈リズム2〉(1965年)が知られています(いずれも京都国立近代美術館蔵)(*1)。怪異さも加わった強烈なエネルギーは、病弱さからくる生へのあこがれの裏返しであり、繊細な感性が滲み出ています。
 〈花売り〉を見てみましょう。死の5年前、自身の娘をモデルにして描いた作品です。少女は花を入れた籠を頭上に置き、真っすぐに立っています。服は、緑を背景とした鮮烈なオレンジ色。彼女は微笑みをたたえ、まるで散華の花に囲まれるようにして、こちらを見つめています。その口元は古代ギリシャの彫像の微笑に似て謎めいて感じられます。また、右腕と左腕が、くの字に曲げられ対称となっているのも特徴的でしょう。これは、古代日本の埴輪を参照したもので、直立の姿勢や微笑とともに、神像のような造形感を生み出しています。
 彼は大手術から生還した26歳のとき、カトリックの洗礼を受けました。没年に刊行された雑誌のなかで、そのとき「絵の方向が決まった」と語っています。そして、「苦しみの翳の全くない、穏やかな、平和を願う気持ち」(*2)が感じられる作品を描きたいとも述べています。苦しみに耐え、自己を深く見つめながら願ったものが、この〈花売り〉には込められているのでしょう。
 なお暁冶は、京都画壇だけでなく、若い徳島の日本画家たちに強い印象を残しています。父とともに同郷と見なされ、京都の幸田家に徳島の画家が立ち寄ることもありました。彼の命を削るような真剣な制作姿勢が、つながりを感じた画家たちに影響を与えたことも忘れるわけにはいきません。
(*1)図版は、「京都画壇に咲いた夢」展(2008年 本館)をご覧ください。
(*2)「アトリエ訪問 幸田暁冶・死にそこないの慟哭」『1枚の會』40号、1975年1月、42頁。
徳島県立近代美術館ニュース No.122 July.2022 所蔵作品紹介
2022年7月
徳島県立近代美術館 森芳功