徳島県立近代美術館
学芸員の作品解説
廣田百豊 美人図
美人図
大正期
絹本着色
109.5×140.0
廣田百豊 (1876-1955)
生地:石川県山中町(現:加賀市)
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廣田百豊美人図
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廣田百豊 「美人図」

森芳功

和装の婦人を描いた大正期の日本画です。女性の髪形は、当時流行の廂髪(ひさしがみ)。着物は地味な色ながら上質の小紋。半衿(はんえり)は黒く厚手の生地なので、冬の装いのようです。女性は居住まいを正すことなく、ソファーにもたれかかり、裾はだらしなく少しはだけています。テーブルには洋酒のグラスが置かれていますので、部屋でお酒を飲みくつろいでいるのでしょう。
もう少し画面を観察すると、口元に添えた手には指輪が光り、豹柄の毛皮が置かれたソファーの縁には、細かく装飾が施されているのが分かります。カーテンの向こうにある鳥籠などを含め、彼女は豊かな暮らしを示すアイテムに囲まれているのです。
しかし格差社会だった当時、富裕な婦人なら、洗練し理想化して描かれることが多く、このようにプライベートを覗くような作品はあまり見られません。はたして彼女はどのような人だったのか。
描いたのは日本画家の廣田百豊(1876-1955年)。旧姓が荒地、本名は才一郎。通称は宰(つかさ)。石川県で生まれた百豊は京都に出て、大家として知られた竹内栖鳳(せいほう)に師事し、内弟子となっています。やがて文展(文部省美術展覧会)で褒状を受けるなど、画壇の大舞台で評価を重ねていきました。ところが、展覧会の改組で揺れた1919(大正8)年、仲間と日本自由画壇を結成し、在野の画家として生きていきます。実力があり師にも恵まれた人でしたが、画壇の本流から離れたため、後半生はほとんど脚光を浴びることはありませんでした。自由画壇のメンバーは、「報われるもの薄き人達」と評されることがあったほどです。しかし近年は、彼の大正期を中心とする人物表現が、少しずつ注目されるようになっています。
残念ながら、この絵のモデルがどのような人だったのかは分かっていません。ですが、作品解釈の手掛かりはあるように思います。彼がさまざまな境遇の女性を描き続けたことです。たとえば、お店にお客さんが来なくて退屈そうな若い〈酒場の女〉、農作業のかたわら赤ちゃんに授乳する〈農婦〉、籠に入れた魚を漁船から運ぶたくましい浜の女たち。お寺参りに来た高齢の婦人や天に祈る女性を描いた作品もあります。それらは美人画に分類されるのでしょうが、いずれも装飾に流れず、生身の女性をリアルに見つめたところが特徴的です。芸妓を描いた作品に〈つとめ〉というタイトルをつけたように、働く人、地道に生きる市井の人たちへの温かい視線も感じられます。
それらと比べると、本作品はやや趣が異なっているのかも知れません。富裕な人を描いたのは間違いないとしても、他の作例を知ると、庶民の暮らしと対比させているようにも見え、彼の想いをいろいろと想像させられます。
この作品について、もう一つ触れておきたいのは、緻密な描写や女性のポーズに、ルネサンス以降の西洋絵画への関心が読み取れる点です。彼は、1922(大正11)年に渡欧もはたしています。百豊は、人々の暮らしを見つめ、西洋絵画からも学び、日本画の新しい人間表現をつくろうとしていたようです。
徳島県立近代美術館ニュース No.121 April.2022 所蔵作品紹介
2022年4月1日
徳島県立近代美術館 森芳功