徳島県立近代美術館
学芸員の作品解説
原の城 頭像
1964年
ブロンズ
h.32.0
舟越保武 (1912-2002)
生地:岩手県
データベースから
舟越保武原の城 頭像
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舟越保武 「原の城 頭像」

安達一樹

 アンジェリコ。これは舟越保武の洗礼名です。
 美術と宗教の関係は、西洋では教会におけるキリスト教美術、日本では仏像に代表される仏教美術など、歴史的には密接な関係を持ってきました。しかし、近代の美術は、それらもろもろの周辺の事柄から独立した存在として歩を進めています。現代の日本では、宗教と親密な関係で制作を行っている作家は、まれな存在でしょう。
 クリスチャンである舟越は、その信仰を基として「長崎二十六殉教者記念像」「病醜のダミアン(救ライの使徒)」「聖クララ」などキリスト教に関係した一連の優れた作品を生み出しています。「原の城(はらのじょう)」もそのひとつで、これは島原の乱を題材としています。
 厳しいキリシタン弾圧のもと、寛永14年(1637年)からその翌年にかけて九州島原半島で起こった、天草四郎を中心とするキリシタンと農民の反乱は、原の城に立てこもった3万7千余人のうち、1人の生存者もない文字通りの全滅をもって終結したと言います。
 作家は、ある晴れたのどかな春の日、天草にある原の城跡を訪れます。明るく静かな風景に、作家は「この異様な静寂は、天草の乱のあとの放心状態が、この丘にまだ続いているためではないか」と思い、討ち死にしたキリシタン武士の姿を心に描きます。「雨あがりの月の夜に、青白い光を浴びて亡霊のように立ち上がる姿を描いてみた」と言います。
 そして「原の城に行ってから3年ほどして、これにちなんだ彫刻を2度作った。あの段畑の土の中から掘り出したという気持ちで原の城と名付けた。2つともかぶとをかぶった武士のやつれた首である」。この作品の誕生です。さらに7年後には全身像が作られ、それは中原悌二郎賞を受賞しています。
 舟越保武は、大正元年岩手県生まれ。盛岡中学(同期に松本俊介)、東京美術学校(同期に佐藤忠良、徳島市応神町在住の坂東文夫ら)に学びます。中学時代に兄に買ってもらった高村光太郎訳の「ロダンの言葉」に感動して彫刻を志したと言います。昭和14年に美術学校を卒業、新制作派協会の彫刻部の設立に参加。昭和25年には盛岡カトリック教会で洗礼を受けています。
 昭和62年脳梗塞で倒れますが、退院後は左手でデッサンするなど活動を続けています。彼はまた優れたエッセイストで、エッセー集「巨岩と花びら」では、日本エッセイストクラブ賞を受賞しています。
徳島新聞 美術へのいざない 県立近代美術館所蔵作品〈4〉
1993年7月9日
徳島県立近代美術館 安達一樹