徳島県立近代美術館
学芸員の作品解説
狐と葡萄(ラ・フォンテーヌ寓話)
1963年
メゾチント 紙
35.4×26.4
長谷川潔 (1891-1980)
生地:神奈川県
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長谷川潔狐と葡萄(ラ・フォンテーヌ寓話)
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長谷川潔 「狐と葡萄(ラ・フォンテーヌ寓話)」

友井伸一

 1911年から12年にかけて黒田清輝の葵橋洋画研究所や、岡田三郎助、藤島武二らの本郷洋画研究所で素描や油彩を習い始める。この頃から創作版画運動に刺激されて木版画を始め、1913年には文芸誌『假面(仮面)』の同人となって、表紙、口絵などを制作し、銅版画の研究も始める。1916年には、永瀬義郎、廣島晃甫(新太郎)と共に日本版画倶楽部を結成した。
 西洋へのあこがれから、ついに1919にフランスへ渡る。木版画、銅版画へとのめり込む。当時のヨーロッパでも既に忘れられようとしていたマニエール・ノワール(メゾチントのフランス語。黒の技法の意味)に魅了され、1924年にはその技法を独自に復活させることに成功した。
 ペルソといわれる道具で銅版上にまくれをともなう細かい傷をつけ、白くしたい部分を磨き上げることで制作する、凹版の直刻法であるメゾチントは、黒く艶のある面と色の諧調を作り出すことができる。製版だけではなく、刷りにもとりわけ大きな比重のかかる技法であり、長谷川は刷り師との共同作業で制作を進めた。その深みと静けさに満ちた作品はフランスでも高い評価を受け、日本に帰国することなく同地で没した。
 〈狐と葡萄(ラ・フォンテーヌ寓話〉は、その制作をほとんどマニエール・ノワールに限るようになった1963年の作品。黒い背景に狐の置物とぶら下げた葡萄のつるだけを配したもので、余白の大きなシンプルな構図は、東洋の花鳥画さえ思わせる。静謐さに満ちた円熟期の作風をよく表している。

(「広島晃甫」の人名表記を「廣島晃甫」に改めました。)
特別展「コレクションでみる 20世紀の版画」図録 第2部 技法 2. 凹版
1997年4月12日
徳島県立近代美術館 友井伸一