徳島県立近代美術館
学芸員の作品解説
村山村山槐多 女の顔
女の顔
1914年
木炭 紙
60.0×44.5
村山槐多 (1896-1919)
生地:愛知県
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村山槐多女の顔
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所蔵作品選1995

村山槐多 「女の顔」

三宅翔士

着物姿の女性の上半身が、大きく描かれています。ほとんど無表情に近い面持ちで、物憂げな視線を投げかける彼女の心情を読み取ることは容易ではありません。しかし、作品の画面全体に力強く奔放に引かれた描線からは、女性の心の裡に秘められた強い意志のようなものが感じられます。それが、この作品の最大の見どころの一つと言えそうです。
作者の村山槐多(1896~1919)は、大正期の洋画壇で独自の存在感を示した画家です。現在の愛知県岡崎市に生まれ、中学校教諭の父親の転勤に伴い、京都で少年期を過ごしました。府立第一中学校に進学して間もない14歳の頃、従兄の画家・山本鼎(1882~1946)に画才を見込まれ画材一式を買い与えられると、絵画に熱中します。学校ではボードレールやランボーを耽読し、学友らと小説や詩の回覧雑誌を制作。美術や文学に早熟の才を発揮しました。その一方で、奇怪な仮面をつけオカリナを吹きながら徘徊したり、一級下の少年に恋文をしたためたりするなど、数々の逸話も伝わっています。
〈女の顔〉は1914年、鼎の助力を得て本格的に絵を学ぶために上京した年に制作されました。女性の姿態は的確に捉えられていますが、鼻の部分に着目すると、いささか神経質にも思われるほど何重にも線が引かれており、無骨さが際立っています。また、大きな瞳の瞼や目尻の線も、殊更に強調されています。美麗な女性表現を目指したというよりも、いかに線を引き、納得の行く「作品」に仕立てるのか腐心した形跡が認められます。モノクロの画面であるからこそ、自在に行き交う線の魅力がいっそう明瞭に立ち現れて来ます。
槐多の作品は、しばしば表現主義的であると評されます。確かに、残された作品には直截に感情を吐露したような荒々しい筆触が多々見受けられますが、構図に全く破綻がなく、あくまでも理知的な画面に仕上げられています。画家としての観察者の眼が貫かれているのです。
槐多の生きた明治末から大正期には、生命や自由の尊重を尊ぶ風潮が高まっていました。彼もまたそうした時代精神に呼応した一人でしたが、その強烈な個性の迸る作品群は、わずか22年の生涯を消尽するかのような破天荒な生き方とともに、今日まで語り継がれています。恋愛においても、時に一方通行とも取れる交渉が重なり、いずれも成就することはありませんでした。〈女の顔〉は、彼が描いた女性像の中でも最も早い作例の一つであり、女性を思慕して已まなかったものの、器用に立ち振舞うことのできなかった一人の生身の人間としての実像をも伝えています。

徳島県立近代美術館ニュース No.120 January.2022 所蔵作品紹介
2022年01月01日
徳島県立近代美術館 三宅翔士