徳島県立近代美術館
学芸員の作品解説
(題名なし)
1983年
アクリル キャンバス
244.0×183.0
ローズマリー・コーツィー (1939-2007)
生地:ドイツ
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ローズマリー・コーツィー(題名なし)
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ローズマリー・コーツィー 「(題名なし)」

吉川神津夫

茶色と白を基調とした画面に、黒い線が引かれています。よく見ると、この黒い線は人の形のようにも見えます。この絵画は一体、どのような光景を描いたものでしょうか。
作品に近づく手がかりは、作者であるローズマリー・コーツィーの幼少時の体験にあります。コーツィーは1939年、ドイツ生まれ。これはドイツが第二次世界大戦に突入したのと同じ年です。そして、ユダヤ人であったコーツィーは1942年に収容所に強制収容されます。ここでの生活の中で、彼女は死体が捨てられる様子や病気や飢えによって人々が死んでいく様子を見てきたと、後に語っています。生き延びた彼女は、1945年に解放されます。
今回紹介する絵画は、収容所での生活のトラウマに基づくものです。ただし、このテーマで彼女が描き始めたのは1970年代末、30年以上経ってからのことです。
ここではまず、それまでの間、彼女がどのような人生を送ってきたのか、触れておきたいと思います。
収容所から解放された後、彼女はしばらく孤児院で過ごしました。1959年に、同じく生き延びた祖父が暮らすスイスに移住します。そして、61年からジュネーブの装飾芸術学校に通いました。ここで彼女は絵画や彫刻など、様々なジャンルの美術を学びます。その中でも、彼女は織物に強い関心を示し、中でもタペストリーの作家として評価されるようになりました。
その後、コーツィーは一転して、収容所での生活をモチーフにした絵画を制作し始めます。しかし、その契機は定かではありません。
始まりはインクによるドローイングの小品でした。個々の作品にタイトルが付いていないものの、一連のドローイングは“I Weave You A Shroud.”(私はあなたにシュラウドを編んでいます)と名付けられています。シュラウドとはユダヤ人の死装束のことです。非業の死を遂げた同胞たちを弔おうとする気持ちがうかがえるものです。コーツィーは2007年に没するまで、このモチーフで制作を続けました。ドローイングだけでも12,000点以上の数に上ります。これ以外にも絵画、彫刻作品も制作していました。
今回紹介するような大作が制作されたのは1981年からです。収容所体験をモチーフにした作品の初期にあたるものと言えます。この作品にも、タイトルはありませんが、ドローイングと同様の背景があると考えられます。ただ、作品の大きさ、色彩を用いていることなど、同じテーマであるにしても、その表現は大きく異なっています。何よりも、夥しい数のペインティングナイフによる激しいタッチは、強い衝動を感じさせるものです。表現のバリエーションというよりは、ドローイングではおさまりきらない思いが反映されているもののように感じます。
コーツィーのホロコーストをモチーフとした作品は、欧米の多くの美術館に収蔵されています。最初に収蔵されたのは、1981年、スイスのアール・ブリュット・コレクションです。1975年に開館したこの施設は、フランス人の画家、ジャン・デュビュッフェのコレクションを収蔵したものです。
アール・ブリュットとは第二次世界大戦が終わって間もない頃、デュビュッフェによって定義された言葉です。彼は細かくこの言葉を定義していますが、要約すれば、様々な人々による他に類を見ない表現をアール・ブリュットと名付けたのです。例えば、正規の美術教育をうけていない人、障がい者や犯罪者、ジプシー、占星術師などによって制作されたもののことです。
コーツィーの作品がアール・ブリュット・コレクションに収蔵されたのは、まだデュビュッフェが存命の時期でした。芸術学校で学んだ彼女の作品が評価されたのも、他に類を見ない独自の表現という点からではないでしょうか。そして、デュビュッフェが亡くなって久しい今、アール・ブリュットを再考する際に、コーツィーは重要な作家の一人になるように思います。

徳島県立近代美術館ニュース No.118 July.2021 所蔵作品紹介
2021年7月1日
徳島県立近代美術館 吉川神津夫