徳島県立近代美術館
学芸員の作品解説
版画集〈響き〉16.赤と青と黒の中の三人の騎手
1911年
木版 紙
22.0×22.0
ヴァシリー・カンディンスキー (1866-1944)
生地:ロシアモスクワ(現ロシア連邦)
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カンディンスキー版画集〈響き〉16.赤と青と黒の中の三人の騎手
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ヴァシリー・カンディンスキー 「版画集〈響き〉16.赤と青と黒の中の三人の騎手」

友井伸一

 モスクワ大学で法律と経済を学び、研究者として将来を嘱望されていたカンディンスキーであったが、その道を捨てて、30歳を過ぎてから美術を志す。34歳でミュンヘンの美術アカデミーに入学したのは1900年である。その後、マルクと年刊誌「青騎士」を刊行し、そこに結集した人々とともに、ドイツ表現主義の一大勢力を形成した。
 1910年に最初の抽象絵画ともいわれる作品を制作し、フランスのキュビスムに発する、主に形態面からの抽象化ではなく、内面から発した純粋抽象の道を歩んだ。そこには、シューンベルクら前衛音楽家との深い交流が影響を与えている。ロシア革命後は一時モスクワに戻り、ロシア芸術科学アカデミーの設立など、美術行政の要職を務めるが、その後ドイツへ戻り、1922年から33年にかけて、造形美術学校「バウハウス」で教鞭を執った。ナチスの台頭に伴い、モダン・アーティストたちがしだいに活動の場を狭められるなか、1933年暮れにパリへ亡命し、終戦を見ずに同地で没する。
 1913年にミュンヘンのピーパー社から出版された版画集〈響き〉は、カンディンスキー自身による38篇の詩と、56点の版画による詩画集である。
 カンディンスキーが生涯に制作した200点余りの版画作品の約三分の一が木版画であり、そのほとんどが1914年までの作である。従って〈響き〉に、彼の木版画制作の集約を見ることができる。
 〈赤と青と黒の中の三人の騎手〉には、よく観察すれば馬や人間の姿らしきものを認めることができるが、それは、カンディンスキーの心の動きの瞬間をとらえた即興的な形態であり、画面の中に飛び跳ねるように自由に配置された形態が、三つの色と共鳴し合って、優れた抽象的感興を生み出している。それは、さらに詩のリズムや言葉自体の純粋な音の力と共に、「響き」合っているのである。
特別展「コレクションでみる 20世紀の版画」図録 第1部 20世紀初頭 1. ヨーロッパ
1997年4月12日
徳島県立近代美術館 友井伸一