徳島県立近代美術館
学芸員の作品解説
学芸員の作品解説
版画集〈ベルリンへの旅1922〉6. 幻滅した人々II
1922年
リトグラフ 紙
47.8×38.5
1922年
リトグラフ 紙
47.8×38.5
マックス・ベックマン (1884-1950)
生地:ドイツ
生地:ドイツ
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ベックマン版画集〈ベルリンへの旅1922〉6. 幻滅した人々II
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この執筆者の文章
マックス・ベックマン 「版画集〈ベルリンへの旅1922〉6. 幻滅した人々II」
友井伸一
1899年から1903年にかけて、ドレスデンの美術アカデミー、ヴァイマルの美術学校に学ぶ。1906年から13年にかけて、ベルリン分離派(ゼツェッション)に出品するが、この頃は、セザンヌを始め、ヨーロッパの近世、近代の名作にひかれ、「ブリュッケ」や「デア・ブラウエ・ライター」などのドイツ表現主義には批判的であった。第一次世界大戦中の1915年に看護兵として従軍するが、神経に変調をきたし、フランクフルトで療養生活を送る。第一次大戦後は、戦争体験や乱れた風俗などの現実を、生々しく象徴的に描くようになり、新即物主義(ノイエ・ザッハリヒカイト)に近づいた。キュビスムの構成の堅牢さや、かつてはそれに対して批判的だった表現主義の持つ激しい色づかいが、そこには取り入れられるようになる。
1925年、新しくできたフランクフルト美術研究所に招かれ、ここで教えることになるが、33年、台頭してきたナチスによってその職を追われた。1973年の「退廃美術展」には、彼の版画集〈ベルリンへの旅〉が選ばれていた。
この版画集は10点のリトグラフからなるもので、1922年にベルリンのI.B.ニューマン社から出版された。ここでは、第一次世界大戦後の混乱した世相が、富裕層の時代の変化への不安とむなしい享楽や、貧困層のつつましい生活、街にあふれる傷痍軍人たちなどの姿を通して描かれている。
〈幻滅した人々II〉には、主に4人の人物が登場する。画面右手の男はベルリンの有名な画商で出版も行っていたカッシラー、中央下部でだらしなさそうにあくびをしている女はその妻で女優のティラ・ジュリオー、画面左手であくびをする男が音楽の権威でカッシラーの出版に関わっていたブェンガー、中央の男が画家のマックス・スレーフォークトである。女が手にするのはカール・マルクスの本であり、太股の上とお尻に敷いている新聞記事には、ドイツ共産党の前身で、革命を目指すが弾圧された「スパルタクス団」のリーダーで、1919年1月15日に処刑されたルクセンブルクとリープクネヒトの記事が載っていることが分かる。
裕福な階層に属する彼らにとっては、革命運動もただの刺激的なゲームであり、その失敗が彼らにもたらすのはただの退屈でしかないのであろうか。ここには、当時のブルジョアたちの階級に安住した傲慢さを、皮肉を込めて告発する社会批判の目がある。
それは「退廃美術展」では、グロッスらの作品と共に、「政治的傾向」という第4グループに分類された。それは、マルキストに奉仕する作品とされ、ユダヤ人ボルシェビキの次の言葉が添えられた。「芸術家たる芸術家はアナーキストでなければならない。」
亡命の道を選んだベックマンは、パリ、アムステルダムを経て、第二次世界大戦後の1947年、ワシントン大学からの招きでアメリカへ渡る。1950年に同地で没するまでのわずかなアメリカ生活であったが、コロラド大学、ブルックリン美術館、ニューヨークのアメリカン・アート・スクールなどで教え、多くの学生、友人に恵まれた実り多い晩年を過ごした。
特別展「コレクションでみる 20世紀の版画」図録 第1部 20世紀初頭 1. ヨーロッパ
1997年4月12日
徳島県立近代美術館 友井伸一
1997年4月12日
徳島県立近代美術館 友井伸一