サルバドール・ダリ　「版画集〈マルドロールの歌〉21」

友井伸一

　マドリード王立アカデミー在学中（１９２１－２５年）にフロイトの『夢判断』を読み、精神分析学に傾倒、自ら偏執狂的批判的方法と呼ぶ手法で、無意識のイメージの絵画化を試みた。１９２７年パリに出て、シュルレアリスム運動のリーダー、アンドレ・ブルトンと出会い、スキャンダラスな言動ともあいまって、一躍シュルレアリスムの騎手として注目を浴びる。１９３４年にはブルトンと袂を分かちシュルレアリスムから除名されるが、その後もアメリカをはじめ世界各地で活躍した。
　この作品は、シュルレアリストたちの霊感源の一つと見なされていた、１９世紀末の謎の詩人、ロートレアモンの詩『マルドロールの歌』に寄せた版画集である。ここには、その第六の歌の主人公、イギリス少年のメルヴァンが登場する場面の有名な詩句「彼は一七歳と四か月だ！（中略）そしてなによりも、ミシンと洋傘との手術台のうえの不意の出逢いのように美しい！」（訳：栗田勇）という場面が描かれている。見るものの気持ちがざわざわと騒ぎ立つような、独特のグロテスクでデフォルメされた形態はダリの作風上の特徴をよく表している。また、この作品以外のものは全て、ロートレアモンの詩句とは直接関係のない、ダリ自身の潜在意識に根ざした画面となっていることから、詩句の中のこの場面は、自信家ダリの独創的なイメージさえ支配してしまうほどの強烈な衝撃力を持った根源的な霊感源であったことを物語っている。
　この作品にはいくつかのヴァージョンがある。当初、出版者スキラが計画した時点では、ピカソに依頼する予定だったが、ピカソがダリに譲る形で決定した。そして、１９３２年に５２点のエッチングが計２７０部（和紙に８０部、アルシュ紙に１７０部と２０部の非売品）限定で出版することが予告されている。しかし、１９３４年に出版された時点では、４２点になり、限定部数は本に加えて別刷りのセットつきが４０部、アルシュ紙による本１６０部、非売品の１０部となっていた。しかし、スキラの経済的な事情により、実際は和紙によるセットが４０部とアルシュ紙による本が６０部刷られたのみであった。さらにサインは記載されず、本形式のものには気まぐれに番号が記載された。また、本形式のものは別刷りセットのものの周囲がトリミングされている。
　事情を更に複雑にしているのは、スキラの版を手にいれたピエール・アルジェが、１９７４年に、この４２点にさらにいくつかの版の上にドライポイントによって加筆した８点を加えた計５０点組のものを出版したことである。その限定部数は、本形式でサインと番号の入っている１００部と、テキストを伴わない手製の紙にサインと気まぐれに番号を入れた１００部であった。
　技法は写真を銅版に転写して腐食するエリオグラヴュールが用いられ、製版と刷りはラクリエール工房で行われた。１９７４年版の刷りはルブランによる。（S.T.）

注記：当館所蔵のものは、１９７４年に刊行されたテキストを伴わない１００部のうちの、番号が記入されていないものである。サインは記入されている。なお、当館のものにはドライポイントの加筆によるものが６点に、４２点には含まれていないもの２点、さらに別々の二つの版が加筆などを施されずに、そのまま同一画面に刷られた作品が１点加わっており、計５１点となっている。
　プレステル社刊のダリのカタログ・レゾネ（Ｓａｌｖａｄｏｒ　Ｄａｌｉ　Ｃａｔａｌｏｇｕｅ　Ｒａｉｓｏｎｎｅ　ｏｆ　Ｅｔｃｈｉｎｇｓ　ａｎｄ　Ｍｉｘｅｄ－Ｍｅｄｉａ　Ｐｒｉｎｔｓ　１９２４－１９８０．Ｍｕｎｃｈｅｎ：　Ｐｒｅｓｔｅｌ，１９９４．）には、１９３４年版の別刷りセットつき４２点に、新たに発見された２点が加わっており４４点記載されている。当館のものは、この４４点に、ドライポイント加筆の８点のうち何らかの事情で２点が失われて残った６点と、さらに４４点中の別々の２版を同一画面に刷った１点が加わったものと思われる。また、７４年版のテキストなしヴァージョンには、３４年版において画面の周囲に施されていたイメージはトリミングされて刷られておらず、厳密には両者の画面は違うものである。なお、個別の作品にはタイトルが記載されていないため、当館では個別のタイトルの代わりに、カタログ・レゾネに従って通し番号を付している。また、レゾネに記載のないドライポイントの加筆作品については、加筆前のイメージの順番に通し番号を付し、同一画面に２版のイメージを刷ったものには最終番号を付した。