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斎内一秀



サイクロスキッフ



サイケデリック・アート



〈最後の勝負は続く〉〈ネガティヴ・プレイ〉



採桑図



斎藤カオル



斎藤翠紅



斉藤典彦



斎藤博之



斎藤義重



斎藤実盛染鬚図



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サヴィニャック



佐伯定胤和上像



佐伯祐三



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あうひぇんたーらー

ヨーゼフ・マリア・アウヒェンターラー

ウィーン工科大学を中退し、1890年以降美術アカデミーでルムプラー教授に師事する。1893−95年ミュンヘンで教職についた後、ウィーンに戻り、1901年イタリアのグラドに移住する。1886−88−89年ウィーン美術アカデミー賞を受賞する。「分離派ゼゼッション)」の創立会員として活躍し、1900年の第5回分離派展では会場構成を担当する。第7回、8回の分離派展のポスター、カタログをデザイン、機関誌『ヴェル・サクルム(聖なる春)』にも数多くの挿絵を描いた。1902年第14回分離派展(マックス・クリンガーの《ベートーヴェン像》が出品された)には、大作《美しき神とその喜び》を発表。1905年、クリムト・グループと共に「分離派」を脱退し、1909年には「クンストシャウ」に参加。イタリアのグラドのために数多くのポスターをデザインした。


カテゴリー:作家
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バウハウスとは?【 美術用語 】

1920年代のドイツで近代デザインの中心地となった建築と応用美術のための学校。デザインと工業技術の間に橋をかける重要な役割をはたした。1933年にナチスの圧力で解散してから教授陣と学生が各地に移住したため、バウハウスの理念は多くの国々に広められ、1930年代と40年代における近代主義のシンボルともいえる存在となった。バウハウスの創設は、1919年に、旧ヴァイマール美術アカデミーとヴァイマール美術工芸学校がグロピウスによりひとつにまとめられたことに始まる。グロピウスの最初の思想は、すべてを包含する近代的で構成的な芸術を実現して、モニュメンタルな要素と装飾的な要素の分離をなくそうとするものであったが、さらに1923年には、工業的大量生産用のデザインを行う工芸家が重要であるとした。このため、バウハウスは産業界と密接に関係を持ち、多くの製品を生み出した。その特徴は非個人的で幾何学的で厳格なことであり、むだを省き素材を研究し、洗練された形を持っており、ヨーロッパの建築・応用美術に大きな影響を与えた。

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