東京で生まれる。大正14年(1939)に
山元春挙(1871−1933)に師事「早苗会」に入る。春挙没後は「早苗会」引き継いだ
川村曼舟(1880−1942)について学ぶ。のちに
山口華楊(1889−1984)の「晨鳥社」に所属する。昭和16年(1941)に第4回新
文展に山岳を描いた「翠巒」が入選し、つづいて第5回の新
文展には滋賀の湖西地方の柵田を描いた「六月の頃」で連続入選している。戦後は昭和21年(1946)の第1回日展は「冬日和」が、翌年の第3回日展には「早苗の頃」が撰に入っている。明るい色彩による平明な風景画に特色がある。