データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
なう゛ぁぐらは くようせい ナヴァグラハ(九曜星)
不矩83〜84歳の時に制作した作品である。タイトルのナヴァは9、グラハは惑星を意味し、天体、日、月、火、水、木、金、土、に日月蝕を起こさせる蝕星の羅候星と、彗星の計都星を加えた九曜星を意味する。ヒンズー教では、この神像が多くの寺院の正面に並び刻まれている。本作品は、特殊な紙に顔料で着色し、それを掻き落としてできる線で描かれており、風土性を強く意識させる作品である。(「日本の美−再発見 富山県水墨美術館収蔵作品集」 2005年)
カテゴリー:作品
いまクリックまたは、検索したキーワードの解説
秋野不矩とは?【 作家名 】 不矩は静岡県天竜市のひと。本名ふく。郷里で教師をしていたが、昭和2年千葉の石井林響に師事、同5年京都に移り、西山翠嶂の青甲社に入る。翌年の第12回帝展に「野に帰る」が初入選、同11年新文展鑑査展「砂上」選奨受賞、同13年第2回新文展「紅裳」が特選となり、人物を中心にした作品で官展での将来を期待されていた。しかし、昭和23年の新しい日本画団体・創造美術の結成に、上村松篁、広田多津らと参加して日展を離れる。以後、現在の創画会まで、現代日本画に話題作を発表してきた。同24年から同49年まで芸大で指導にあたっている。平成3年文化功労者となり、同5年日本芸術大賞を受賞。(「京都の日本画−京都画壇の俊英達−」図録 2001年) 画面右にこのキーワードの再検索結果が表示されています。そちらもご覧ください。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||