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ぱりじぇんしょっきせっとのためのさらのでざいん パリジェン食器セットのための皿のデザイン
1859年に西洋人として始めて『北斎漫画』を発見したと言われる版画家ブラックモンは、ジャポニスムの先駆者で、1866年にはウジェーヌ・ルソーの注文で、日本美術から鳥や花のモティーフを借用した食器セットのデザインを手がけている。ルソー食器セットはヨーロッパ中の陶器メーカーにインスピレーションを与え、ロココや新古典主義のデザインで行き詰まっていた西洋陶器に新風を吹き込んだ。パリジェン食器セットは、1872年にブラックモンがアート・ディレクターとなった、シャルル・ハヴィランド工房のために制作された。セットの全体が日本の花鳥画に影響を受けたデザインとなっており、葦に留まる小鳥、小さな滝や飛ぶ鳥の群れ等が、空間的関係を無視して、丸皿に収まるように描かれている。(「世紀末から 西洋の中の日本「ジャポニスム展」図録)
カテゴリー:作品
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帝展とは?【 美術用語 】 文部大臣の管理下に設けられた帝国美術院によって、1919年から35年まで開催された美術展覧会。1907年から文部省美術展覧会(文展)が開かれたが、次第に二科会、日本美術院、国画創作協会など在野の有力団体の活動が活発化したのに対して、文展にはアカデミズムの弊害が目立つようになった。その対応策として文展創設以来審査にあたってきた老練作家を帝国美術院会員とし、比較的若い世代を審査員に起用することで今までの文展に活気を吹き込もうとした。この改革は一定の成果をあげたが、1935年在野有力作家の吸収を目的として文相松田源治によって帝国美術院が改組され、37年ふたたび文部省美術展として発足した。戦後は1946年日本美術展覧会(日展)として再出発したが、49年日本芸術院と日展運営会が共催することとなり、さらに58年から社団法人日展により運営されている。 画面右にこのキーワードの再検索結果が表示されています。そちらもご覧ください。 |
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