風土と美術 青森 徳島 イベント紹介
風土と美術 青森 徳島 イベント紹介
風土と美術 青森 徳島 イベント紹介

青森と徳島

青森と徳島-遠く離れた土地で、両者の間にどのような関係性があるのかイメージするのは、なかなか難しいことかもしれません。その点と点をつなぐエピソードとして、藍をめぐる交流史をご紹介します。阿波藍の染料・蒅(すくも)は江戸時代、北前船で青森まで運ばれ、かつて染物屋が百軒以上立ち並んだという弘前の紺屋町を中心に取引されました。藍は安価で耐久性に優れ、身分の階層を問わず愛好されていました。当時、農民の衣服には専ら苧麻(からむし)などの麻が用いられましたが、目の粗い麻布では十分に冬の寒さを凌ぐことができません。そこで津軽の女性たちは、防寒対策として藍染した生地に、布目の隙間を縫うように刺繡を施しました。これが今日、民芸品として全国に親しまれている「こぎん刺し」です。その幾何学的で美しい文様を誇る品々は、名も知れぬ女性たちの単なる労働としての域を超えた立派な創作物であると言えます。

1.「風土」の美を訪ねて

私たちの暮らしの基本を成す衣食住は、気候や地形といった自然条件に規定されています。その環境の下で、人々は大地の恵みに感謝し、あるいは畏怖の念を抱きながら、美術を始めとする精神文化を育んでいきました。この章では、そうした人々の生活風俗や景勝地、および郷土芸能や種々の祈りの造形などを紹介します。

  • 1-1 景勝地、郷土芸能、生活風俗

    池田遙邨 〈鳴門〉
    池田遙邨〈鳴門〉1949年 徳島県立近代美術館蔵

    戦後の京都画壇を代表する日本画家・池田遙邨は全国を訪ね歩き、その先々で目にした風物を生き生きと描きました。〈鳴門〉は徳島・鳴門の渦潮をとらえた大作です。轟々と渦巻く潮流の表現からは、まさに実物を前にしているかのような臨場感にとらわれます。一方、盲目の旅芸人・瞽女の作品で知られる斎藤真一の〈風・津軽じょんがら〉を見てみましょう。斎藤は越後や津軽を放浪し、彼女たちの過酷な境遇に人間の悲哀を見出しました。西洋の祭壇画の形式を用いて、死せるキリストを哀悼するような構図を取っています。池田と斎藤はともに岡山県の出身ながら、異郷の旅を通じて当地の「風土」に迫った画家と言えます。この他、人形浄瑠璃を演じる舞台に設えられた襖からくりの実物や、青森県内の生活風俗を克明に記録した今純三の代表作〈青森県画譜〉などを展示します。

    齋藤真一〈風・津軽じょんがら〉
    斎藤真一〈風・津軽じょんがら〉1974年 青森県立美術館蔵
  • 1-2 生と死-祈りの造形

    前節で取り上げた郷土芸能は、その地方の特色を成す風物・娯楽であり、五穀豊穣や死者の鎮魂など、何らかの祈りを託された行事でもあります。本節では、地蔵信仰とキリスト教が息づく青森ゆかりの作家たちが手がけた、生と死をめぐる作品に着目します。豊島弘尚の〈墓獅子舞(B)〉を見てみましょう。青森県八戸市鮫町では、毎年八月の盆の時期に、海で命を落とした新仏のために彼らの墓前で神楽を舞う行事が執り行われます。死者の魂が訪れると墓の周りの土が湿るといい、三百年もの長きに亘り続いてきました。モニュメンタルな造形に昇華された獅子と、手前の朱机に供えられた椿の花が目を引きます。一方、阿部合成の〈マリヤ〉は、死児を抱く農婦の背後の暗がりに十字架が浮かび、聖性を暗示しています。シベリア抑留とメキシコ滞在を経て、人間の死を主題に描き続けた画家のキリスト教にまつわる晩年の傑作です。この他、棟方志功や奈良美智の作品などを展示します。

    豊島弘尚 〈墓獅子舞(B)〉
    豊島弘尚〈墓獅子舞(B)〉1968年 青森県立美術館蔵
    阿部合成〈マリヤ〉
    阿部合成〈マリヤ〉1972年 青森県立美術館蔵

2.「風土」の再発見-戦後美術の前衛表現

ある土地において、特定の個人・集団によって生活様式が整えられると、そこから何らかの習俗や儀礼が発生します。そしてそれが累代に亘って受け継がれ、伝統となっていきます。戦中には、この伝統を拠り所にした郷土意識が国家意識と接続され、戦争を遂行するために国民を統合する手段に利用されました。このような情勢の中で、戦中のナショナリズムを踏まえ、戦後の混沌とした現実を更新するものとして「風土」が再発見されていきます。この章では、「風土」を切り口に新たな表現を切り拓いた戦後の作家たちを紹介します。

  • 2-1 「幻想」をめぐる断章

    山下菊二〈双立道路〉
    山下菊二〈双立道路〉1964年 徳島県立近代美術館蔵

    徳島出身の山下菊二は、シュルレアリスムの手法で戦争や差別を告発する作品を描きました。1960年代には、論語や経文、さらに能の翁面や鳥の頭蓋骨など様々なモチーフを配した〈双立道路〉に見るように、故郷の伝承や風習など、極めて個人的な記憶にまつわる作品を数多く制作しています。そこには、美術の様式や理論には収まり切らない日本土着の、土俗性が強く滲んでいます。本節ではシュルレアリスムやルポルタージュ絵画の他、寺山修司の舞台芸術関連の作品資料など、「幻想」をめぐる表現について紹介します。

  • 2-2 「縄文」をめぐって

    岡本太郎は、縄文土器の造形に身の内に滾(たぎ)るような生命力を発見し、これを称賛しました。本節ではそうした奔放な力強さと深い精神性の見られる作品を紹介します。青森県弘前市出身の小野忠弘は、廃品を題材とするジャンクアートの旗手として知られる一方、考古学や民俗学に精通し、縄文文化に強い関心を寄せました。〈アルプとオメガ〉は、縄文土器の複雑な文様のみならず、土の質感までも感じられるような重厚なマチエールで表現されています。この他、同じく東北に出自を持つ村上善男や工藤哲巳の作品なども展示します。

    小野忠弘〈アルプとオメガ〉
    小野忠弘〈アルプとオメガ〉1956年 青森県立美術館蔵

風土はその土地の出身者であるからといって、直ちに懐かしく慕わしい対象となる訳ではありません。第三者が、旅などを通じて自己のアイデンティティと結びつき、愛着を持つようになればそこはもう「第二の故郷」-もしかすると生まれ故郷より大切な土地であり、彼・彼女にとって最期に帰って来る魂の故郷-原郷となることもあるでしょう。本展を通じて、青森と徳島だけでなくご自身にとっての「風土」について考える契機としていただけたら幸いです。

三宅翔士(徳島県立近代美術館 主任学芸員)