コーナー紹介

本展では、第一次世界大戦下の板東俘虜収容所(徳島県鳴門市)において、ドイツ人捕虜たちが制作したイベントプログラムから、20世紀にドイツで活躍し国際的にも注目されたクレー、カンディンスキー、エルンストから、ボイス、リヒター、キーファーなどの現代作家まで、ドイツ美術の魅力を4つのコーナーに分け展示します。
また、徳島県と友好交流提携関係を結んでいるドイツ、ニーダーザクセン州にあるシュプレンゲル美術館(ハノーファー市)との鑑賞教育プログラムの交流の成果も併せてご紹介します。

ここでは、各コーナーに展示される作品画像とともに、コーナー解説をご覧いただけます。

1 坂東俘虜収容所(1917-20年)とその時代

  • 1-1 坂東俘虜収容所(1917-20年)のイベントプログラムに影響したもの : ウィーン分離派を中心に 19世紀末から20世紀初頭
  • 1-2 ドイツ表現主義とその周辺 : 20世紀初頭

コーナー解説

    • 1.板東俘虜収容所関係資料
    • M.A.Kオーケストラ(弦楽)
      第30回コンサート
    • 鳴門市ドイツ館蔵
    • 2.コロマン・モーザー
    • 第5回ウィーン分離派展ポスター
    • 京都工芸繊維大学美術工芸資料館蔵
    • 3.カンディンスキー
    • 版画集〈響き〉36.りんごの木
    • 徳島県立近代美術館蔵
コロマン・モーザー 第5回ウィーン分離派展ポスター

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コロマン・モーザー 第5回ウィーン分離派展ポスター
カンディンスキー 版画集〈響き〉36.りんごの木

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カンディンスキー 版画集〈響き〉36.りんごの木
    • 1.ケーテ・コルヴィッツ
    • 恋人たちⅡ
    • 愛知県美術館蔵
    • 2.ジャン・アルプ
    • 7 アルパーデン:アルプ・アルバム(『メルツ』第5号)
    • 京都国立美術館蔵
    • 3.アレクサンダー・カーノルト
    • 静物
    • 広島県立美術館蔵
    • 4.ヨハネス・イッテン
    • 新ヨーロッパ版画集 第1巻 箴言
    • 高知県立近代美術館蔵
ケーテ・コルヴィッツ 恋人たちⅡ

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ケーテ・コルヴィッツ 恋人たちⅡ
ジャン・アルプ 7 アルパーデン:アルプ・アルバム(『メルツ』第5号)

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ジャン・アルプ 7 アルパーデン:アルプ・アルバム(『メルツ』第5号)
アレクサンダー・カーノルト オレーヴァノⅥ

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アレクサンダー・カーノルト オレーヴァノⅥ
ヨハネス・イッテン 新ヨーロッパ版画集 第1巻 箴言

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ヨハネス・イッテン 新ヨーロッパ版画集 第1巻 箴言

2 二つの世界大戦の時代

  • 2-1 第一次世界大戦と画家
  • 2-2 新即物主義: 両大戦間期の動向①
  • 2-3 バウハウスとその周辺 : 両大戦間期の動向②
  • 2-4 ダダ、シュルリアリスム : 両大戦間期の動向③
  • 2-5 退廃美術展 : 第二次世界大戦の時代

コーナー解説

3 ドイツの現代美術 第二次世界大戦後

4 ドイツと関わりのある日本人作家 : 徳島県立近代美術館所蔵作家を中心に

コーナー解説

    • 1.原田直次郎
    • 風景
    • 徳島県立近代美術館蔵
    • 2.三宅克己
    • 伯林スプレー河のほとり
    • 徳島県立近代美術館蔵
    • 3.三宅克己
    • 伯林チャガルテンの秋
    • 徳島県立近代美術館蔵
原田直次郎 風景

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原田直次郎 風景
三宅克己 伯林スプレー河のほとり

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三宅克己 伯林スプレー河のほとり
三宅克己 伯林チャガルテンの秋

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三宅克己 伯林チャガルテンの秋

5 日独の美術鑑賞教育プログラムの交流

徳島県立近代美術館は、徳島県と友好交流提携関係にあるドイツのニーダーザクセン州にある シュプレンゲル美術館(ハノーファー市)と、2013年から鑑賞教育プログラムの交流を行っています。 子どもを対象にしたワークシートなどの教材や、対話鑑賞のアプローチ方法の比較など、 これまでの成果を紹介します。

作品解説

出展作品の中から選りすぐりの4作品を、学芸員の解説と共にご覧ください。

  • 板東俘虜収容所関係資料
  • 第2回 室内楽の夕べ
  • 1917年12月30日 謄写版 (多色刷)
  • 鳴門市ドイツ館蔵

これは、第一次世界大戦時に、鳴門の板東俘虜収容所 (1917-20年) でドイツ人捕虜が作った音楽会のプログラムです。この収容所内では、音楽や演劇、展示会などの文化活動が盛んで、ベートーヴェン 「交響曲第九番合唱付」 のアジア初演もここでした。今も90種類ほどのプログラムが鳴門市ドイツ館に残されています。このプログラムでは、黒と黄の市松模様の床と、高さのある舞台の幕、そして小さく描かれたピアノや楽器、椅子が、会場の広さを強調しています。この時はメンデルスゾーンの弦楽四重奏曲ほかが演奏されました。演奏者の姿はなく、演奏への期待感や余韻を感じさせます。洗練されたデザインは、19世紀末からヨーロッパに拡がっていたユーゲントシュティールやウィーン分離派の影響でしょう。印刷技法はシンプルな謄写版 (ガリ版) ですが、高い技術力で面の表現や多色刷りが実現されています。収容所という限られた環境で、専門的なデザイナーやアーティストもいない中、このような優れた印刷物が生み出されたのです。収容所の閉所から100年、徳島とドイツは友好関係を続けてきました。文化の森の30周年を記念する本展は、そのようなドイツの20世紀の美術をご紹介します。

  • ワシリー・カンディンスキー
  • 版画集〈響き〉16. 赤と青と黒の中の三人の騎手
  • 1911年 木版 紙
  • 徳島県立近代美術館蔵

20世紀の初めから第一次世界大戦 (1914-19年) の頃のドイツでは 「ブリュッケ (橋)」 や 「青騎士(ブラウエ・ライター)」 というグループが誕生します。激しい色使いやデフォルメ、平面的な画面、プリミティブ (原始的) な素朴さなどを特徴とするこの動きは 「ドイツ表現主義」 と呼ばれ、新しい美術をリードしていきました。この版画は、フランツ・マルクらとともに 「青騎士」 を結成したカンディンスキーが、詩も絵も手がけた詩画集『響き』の一ページです。抽象的な画面ですが、人間や動物らしきものがいる情景にも見えます。抽象美術の創始者の一人カンディンスキーが、抽象を始めた初期の記念すべき作品です。ここでは 「絵」 は 「詩」 の内容の描写ではなく、 「詩」 も 「絵」 の説明ではありません。 「詩」 と 「絵」 は、それぞれが抽象的で純粋な 「音」 や 「色」 、「形」 だと考えられています。ですから、タイトルの「響き」は、音の響きであると同時に、色や形の響きでもあります。このような抽象的な作品は、一見何が描かれているのか明らかではありませんが、だからこそ、歌詞のない音楽を楽しむように、色や形の響き合いを味わうことができるのではないでしょうか。

  • パウル・クレー
  • 〈A〉
  • 1923年 水彩 紙
  • 大原美術館蔵

第一次世界大戦後、共和制となったドイツでは、インフレや社会不安の一方で、自由な動きが活発となり 「黄金の1920年代」 を迎えます。美術においても、造形教育機関のバウハウスの開校や、ダダ、シュルレアリスムの前衛的な動きなど、モダンアートが豊かな成果を生み出します。この作品は、叙情性と精神性を感じさせる抽象を推進したパウル・クレーの作品です。クレーは、バウハウスで教鞭を執り、音楽理論を参考に独自の絵画理論を構築しました。〈A〉は、全体が菱形で区切られた画面に、風景らしい情景が描かれています。画面の中央付近にはパウル・クレーの頭文字でしょうか、PKと読める文字が見えます。空の黒い十字はなんでしょうか。少し不穏な雰囲気を感じます。これが戦闘機や鉄十字であれば、中央の小さな円と放射状に拡がる線は爆撃の様子にも見えてきます。第一次世界大戦には多くの美術家たちが戦地に赴きました。クレーもその一人です。この作品には戦争の傷跡が残っています。そして、クレーの作品総目録には、作品名に 「大災害、惨禍の始まり」 という補足があります。アルファベットの始まりの 「A」 は、華やかな1920年代に漂う不吉の始まりの暗示かも知れません。

  • ヴィルヘルム・レームブルック
  • 〈立ち上がる青年〉
  • 1913年 ブロンズ
  • 愛知県美術館蔵

背の高いスタイルの良い男性です。手足が細長い独特のフォルムです。レームブルックは、ドイツ近代彫刻を代表する作家で、この作品のような、引き伸ばされた人体像を特徴としています。さて、この作品が制作された翌年、第一次世界大戦が勃発します。従軍したレームブルックは精神を病み、大戦後のモダンアートの隆盛を見ることなく、1919年に自ら命を絶ちました。1920年代から30年代のドイツは、繁栄の一方でインフレや社会不安が増大し、やがてナチスの台頭を招きます。ナチスは自らが理想とする人体像しか認めず、レームブルックの長く誇張された姿も、いびつで堕落したものとみなします。そして自由な表現を旨とするモダンアートは、ことごとく「退廃」のレッテルを貼られ、1937年にはそれらを断罪する「退廃美術展」が開かれます。ここで、レームブルックの作品は退廃の象徴とされました。レームブルックは自らの命だけではなく、その作品も抹殺されたのです。やがて第二次世界大戦が終わると、今度は弾圧されたモダンアートの復権がドイツ美術の重い課題となります。そして、その復権の象徴もまた、再びレームブルックでした。レームブルックは二つの大戦が生んだ悲劇の象徴といえるでしょう。

解説 友井伸一 (徳島県立近代美術館 上席学芸員)

展覧会の関連動画

本展の会期中、展覧会場入り口にて、ピックアップ作品の解説動画や美術館にて行われたサロンコンサートの様子など、展覧会にちなんだ4つ動画を、4K65インチの大型モニターでご覧いただけます。

作品解説:パウル・クレー「子供と伯母」

1937年
油彩 石膏、ジュード 72.0×53.0cm
徳島県立近代美術館蔵

作品解説:ワシリー・カンディンスキー「響き」

1913年刊/版画制作1907-12年
木版 紙(56点)、テキスト 28.2×27.2cm(ページ寸)
徳島県立近代美術館蔵

シュプレンゲル美術館との交流

徳島県立近代美術館が、2013年から行っている、ドイツ・シュプレンゲル美術館(ハノーファー市)との鑑賞教育プログラムによる交流を紹介します。

ドイツ 20世紀 アート サロンコンサート ダイジェストver.

演奏:Trio Prière
2020年9月30日に展覧会場である、徳島県立近代美術館・展示室3で収録された無観衆でのサロンコンサートの模様です。フルver.も、美術館のyoutubeチャンネルでご覧いただけます。

> サロンコンサート フルver.(外部リンク)

1 板東俘虜収容所 (1917-20年) とその時代×

第一次世界大戦下,鳴門に開設された板東俘虜収容所では,ドイツ人捕虜たちによる演奏会,演劇,歴史や文学などの研究会,語学学習などの文化活動や,家具,印刷,仕立,パン製造などの生産活動,そして住民との交流も盛んに行われていました.なかでも謄写版 (ガリ版) 刷りで制作された多くの文化イベントのプログラムには,19世紀末から20世紀初頭のウィーン分離派やユーゲントシュティールなど,当時のヨーロッパ美術からの影響が見られます.これらのイベントプログラムと,ウィーン分離派の展覧会ポスターや当時の雑誌などを展示します.デザインや美術の拡がりの一端を感じて頂きたいと思います.

また,ブリュッケ (橋),ブラウエ・ライター (青騎士),などドイツ表現主義を中心に,この時期にドイツで展開した前衛的な芸術運動を振り返ります.

1-1 板東俘虜収容所 (1917-20年) のイベントプログラムに影響したもの:
    ウィーン分離派を中心に 19世紀末から20世紀初頭

板東俘虜収容所には,第一次世界大戦の中国,青島での戦いで捕虜となった約1,000名のドイツ兵が収容されていました.捕虜たちによる様々な文化活動の中で最も有名なものが,ベートーヴェン 「交響曲第9番」 のアジア初演となった演奏会です (1918年6月1日開催).そして,この時の公演プログラムも,収容所内の印刷所で制作されています.その図案は,1902年の第14回ウィーン分離派に展示されたマックス・クリンガーの彫刻〈ベートーヴェン〉と,大きなリースが配されたものでした.リースは,19世紀末のウィーンの美術やデザインで好まれたモチーフです.これが謄写版 (ガリ版) の多色刷りによって制作されているのは驚きです.このような優れたデザインと高い印刷技術によるイベントプログラムは,約90種類残されています.捕虜の中に高名なデザイナーがいたわけではありません.当時のヨーロッパの最新の美術やデザインが,広く大衆に拡がっていたことを示しています.

1-2 ドイツ表現主義とその周辺:20世紀初頭

19世紀の末,ドイツやオーストリアでは,これまでの保守的な芸術から 「分離」 して新しいものへと向かおうとする 「分離派」 がおこります.この革新的な動きは,20世紀に入っても続き,ドイツでは表現主義として展開していきました.

パリのサロン・ドトンヌでマティスらの作品が 「フォーヴ (野獣)」 と呼ばれた1905年,ドレスデンでキルヒナー,ヘッケル,シュミット=ロットルフらの若者が 「ブリュッケ(橋)」 を結成します.激しい色使いやデフォルメ,奥行きのない平面的な画面とプリミティブ (原始的) な素朴さも感じさせるスタイルで新しい動きをリードしました.オリジナルの木版画を載せた年次画帖の刊行など,旺盛な版画制作も特徴の一つです.

1911年にはカンディンスキー,マルクらにより,諸芸術の総合を理念として 「青騎士 (ブラウエ・ライター)」 が結成されます,その射程は音楽や詩,舞台などの様々なジャンルに及んでいます.また,当時のヨーロッパの新しい動きのみならず,原始的なものや中世,アジアなどにも関心を寄せ,精神性を重んじました.ブリュッケとの共通点も多い一方で,やがて抽象美術へとつながる要素を秘めていました.

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2 二つの世界大戦の時代×

19世紀末から20世紀初頭は,欧米の列強対立による緊張した国際関係や経済的な不況など,社会に不安定な要素が多い時期でした.それは芸術にも影響し,この時期の前衛的な芸術運動は,社会変革に挑む運動としての側面も持ちます.そこに第一次世界大戦が勃発すると,ドイツに限らず,ヨーロッパの多くの作家たちが自ら進んで従軍します.世界を破壊する戦争が,時代に漂うこの閉塞感もまた一気に打破し,新たな世界を到来させてくれるのではないか,という期待を抱いてしまったのかも知れません.

やがて,大きな被害を残して第一次世界大戦が終わり,帝政から共和制となったドイツでは,「黄金の1920年代」 と呼ばれるヴァイマル時代が始まります.自由さと前衛が勢いを増して展開し,造形教育機関の 「バウハウス」,ダダやシュルレアリスム,新即物主義など,充実したモダンアートや前衛芸術の成果が生まれます.

しかし,これらの豊かさの影で,多額の賠償金を抱えていた敗戦国ドイツでは,不況と社会不安が続き,それがナチス・ドイツの台頭を生んで,やがて第二次世界大戦へと突入していきました.

ヒトラーは,色や形,テーマなどの点で自由奔放なモダンアートを,偉大なドイツ民族にとって道徳的な堕落,退廃であると見なして徹底的に排除します.退廃美術家の烙印を押された多くの作家たちは,追放や亡命を余儀なくされたのでした.

2-1 第一次世界大戦と作家

第一次世界大戦には多くの作家たちが従軍しますが,そこで注目されるのは自ら志願した人が多かった点です.本展で紹介する作家に限っても,マルク,マッケ,ベックマン,ココシュカ,キルヒナー,グロス,ディックス,エルンストは志願兵でした.他にも,例えばイタリアからはマリネッティ,ボッチョーニが志願しています.新世界の到来や変革への思いと,戦争への参加意欲が奇妙に重なる傾向が当時のヨーロッパに拡がっていたと言えるでしょう.

また,戦争参加のスタンスは様々ですが,クレーやシュヴィッタース,フランスのボナール,ヴュイヤール,ドニ,ドラン,ブラック,レジェ,詩人のアポリネールなど,多くの芸術家が従軍しています.そして、戦死したマルク,マッケなどをはじめとして,戦争は作家たちに大きなダメージを残しました.

2-2 新即物主義:両大戦間期の動向①

第一次世界大戦後,1920年代のヴァイマル時代は,自由さと活気にあふれると同時に,政治や経済が混乱した不安定な社会でもありました.表現主義などの前衛的な動きは続いていましたが,それとは一線を画す新即物主義 (ノイエ・ザハリヒカイト) が生まれます.前衛的な動きは,これまでの表現のあり方を分析,解体し,抽象などの進歩的な傾向へと向かっています.それに対して,新即物主義は,不安定な社会の具体的で身近な現実を忠実に受け止めるリアリズムであり,ものや対象に即して冷静に,感情移入しすぎずに表現する傾向を持っていました.かつてドイツ表現主義に影響を受けたディックスやグロス,ベックマンなどもこの動きに加わり,従軍体験や不安な社会に根ざした目の前の現実を表現しようとしました.

2-3 バウハウスとその周辺:両大戦間期の動向②

「バウハウス」 は,第一次世界大戦後の1919年,建築,彫刻,絵画,工芸の理論と技術を統一的に学ぶ国立の造形教育機関としてヴァイマルに設立されました.工房における親方と職人の徒弟制度にならった教育システムを採用し,多くの作家やデザイナーを輩出します.教授陣も多彩で,クレーやカンディンスキーも教鞭を執るなど,モダンアートの拠点の一つとなって,豊かな成果を生み出しました.しかし,その自由で近代的な校風は保守的な層からの反発を受けるようになり,1925年に廃校となります.その後はデッサウ市立バウハウス,私立のベルリン・バウハウスと移転を繰り返しますが,ついにナチスの台頭によって1933年に閉鎖されました.そして,弾圧され亡命を余儀なくされた関係者たちの多くは,アメリカから招かれて海を渡ります.これにより,バウハウスは第二次世界大戦後のアメリカに影響を与えていくことになるのです.

2-4 ダダ,シュルレアリスム:両大戦間期の動向③

第一次世界大戦さなかの1916年,ヨーロッパ各地から戦禍を逃れた人々や移民が集まっていたスイスのチューリッヒに,ドイツの反戦詩人フーゴー・バルとルーマニア人トリスタン・ツァラが 「キャバレー・ヴォルテール」 を開店します.ダダの始まりです.「何も意味しない」 ことを宣言するこの芸術運動は,伝統的な価値観に強く反逆する芸術運動で,ドイツのベルリン,ハノーファー (シュヴィッタース),ケルン (エルンスト) に拡がりました.またパリやニューヨーク,東京にも伝わっていきます.

このダダの衝撃的で革命的な動きと呼応するように,1924年のパリで,詩人アンドレ・ブルトンらによって,あらゆる理性や道徳によるコントロールから解放された真の現実やイメージ,思考を追求するシュルレアリスム (超現実主義) が始まります.文学,美術,映画,演劇など幅広いジャンルにわたるこの芸術運動は,ダダのメンバーも巻き込み,チューリッヒやケルンから,アルプやエルンストがパリに集まります.そして,やがてシュルレアリスムも世界各地に展開していきました.

2-5 退廃美術展:第二次世界大戦の時代

19世紀末以降の新しい芸術運動とともに豊かな成果を生み出してきた前衛的な芸術運動やモダンアートは,1930年代のナチス台頭によりしだいに排除されていきます.ナチスの理想にとって,表現主義や抽象絵画の色や形,主題の斬新さは狂気であり,またダダや新即物主義に見られる反戦的な要素は,国家を転覆させる危険な思想であると見なされました.そして,多くの作家たちが弾圧を受け,ドイツ各地の美術館から押収された650点以上のモダンアートの作品が,「退廃美術展」(1937~41年)として,ミュンヘンを皮切りに全国13都市で見せしめのように巡回展示されます.本展でも,「退廃美術展」に展示された作品*を何点か展示しています. *エディションが異なる版画作品

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3 ドイツの現代美術 第二次世界大戦後×

第二次世界大戦後,再び敗戦したドイツは,米,英,仏,ソ連の4カ国による占領時代を経て,1949年に東西ドイツに分かれ,61年には 「ベルリンの壁」 が作られます.分断国家としてのドイツは,1989年の壁崩壊,90年の再統一まで続きました.

戦後のドイツ美術は,ナチス・ドイツ時代の清算という課題,そして分断国家の葛藤を背負います.旧の西側では,1950年代のフランスのアンフォルメル,アメリカの抽象表現主義,ネオダダ、60年代から70年代のフルクサス,ポップアート,80年代の新表現主義といった世界的な潮流と重なりながら進み,ボイスのようなスターも現れます.他方,東側では社会主義リアリズムが公式とされます.そしてリヒター,バゼリッツ,A. R. ペンクのように,東から西へと移住する作家もいました.戦後ドイツ美術は東西冷戦のはざまで揺れ動いていたのです.


4 ドイツと関わりのある日本人作家:
  徳島県立近代美術館所蔵作家を中心に

ドイツと関わりのある日本人作家も,当館の所蔵作品を中心に紹介します.1890年代末-1930年頃にかけて,ドイツを含むヨーロッパ各地の風景を水彩で多数描いた三宅克己 (徳島出身) の画集 (当時の出版) や,三宅が師事した原田直次郎のミュンヘン留学時代 (1884-86) の貴重な風景画を展示します.

現代の作家では,デュッセルドルフに拠点をもつ植松奎二,A. R. ペンクの教えを受けた奈良美智をとりあげます.

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