コーナー紹介
本展では、第一次世界大戦下の板東俘虜収容所(徳島県鳴門市)において、ドイツ人捕虜たちが制作したイベントプログラムから、20世紀にドイツで活躍し国際的にも注目されたクレー、カンディンスキー、エルンストから、ボイス、リヒター、キーファーなどの現代作家まで、ドイツ美術の魅力を4つのコーナーに分け展示します。
また、徳島県と友好交流提携関係を結んでいるドイツ、ニーダーザクセン州にあるシュプレンゲル美術館(ハノーファー市)との鑑賞教育プログラムの交流の成果も併せてご紹介します。
ここでは、各コーナーに展示される作品画像とともに、コーナー解説をご覧いただけます。
5 日独の美術鑑賞教育プログラムの交流
徳島県立近代美術館は、徳島県と友好交流提携関係にあるドイツのニーダーザクセン州にある シュプレンゲル美術館(ハノーファー市)と、2013年から鑑賞教育プログラムの交流を行っています。 子どもを対象にしたワークシートなどの教材や、対話鑑賞のアプローチ方法の比較など、 これまでの成果を紹介します。
作品解説
出展作品の中から選りすぐりの4作品を、学芸員の解説と共にご覧ください。

- 第2回 室内楽の夕べ
- 1917年12月30日 謄写版 (多色刷)
- 鳴門市ドイツ館蔵
これは、第一次世界大戦時に、鳴門の板東俘虜収容所 (1917-20年) でドイツ人捕虜が作った音楽会のプログラムです。この収容所内では、音楽や演劇、展示会などの文化活動が盛んで、ベートーヴェン 「交響曲第九番合唱付」 のアジア初演もここでした。今も90種類ほどのプログラムが鳴門市ドイツ館に残されています。このプログラムでは、黒と黄の市松模様の床と、高さのある舞台の幕、そして小さく描かれたピアノや楽器、椅子が、会場の広さを強調しています。この時はメンデルスゾーンの弦楽四重奏曲ほかが演奏されました。演奏者の姿はなく、演奏への期待感や余韻を感じさせます。洗練されたデザインは、19世紀末からヨーロッパに拡がっていたユーゲントシュティールやウィーン分離派の影響でしょう。印刷技法はシンプルな謄写版 (ガリ版) ですが、高い技術力で面の表現や多色刷りが実現されています。収容所という限られた環境で、専門的なデザイナーやアーティストもいない中、このような優れた印刷物が生み出されたのです。収容所の閉所から100年、徳島とドイツは友好関係を続けてきました。文化の森の30周年を記念する本展は、そのようなドイツの20世紀の美術をご紹介します。

- 版画集〈響き〉16. 赤と青と黒の中の三人の騎手
- 1911年 木版 紙
- 徳島県立近代美術館蔵
20世紀の初めから第一次世界大戦 (1914-19年) の頃のドイツでは 「ブリュッケ (橋)」 や 「青騎士(ブラウエ・ライター)」 というグループが誕生します。激しい色使いやデフォルメ、平面的な画面、プリミティブ (原始的) な素朴さなどを特徴とするこの動きは 「ドイツ表現主義」 と呼ばれ、新しい美術をリードしていきました。この版画は、フランツ・マルクらとともに 「青騎士」 を結成したカンディンスキーが、詩も絵も手がけた詩画集『響き』の一ページです。抽象的な画面ですが、人間や動物らしきものがいる情景にも見えます。抽象美術の創始者の一人カンディンスキーが、抽象を始めた初期の記念すべき作品です。ここでは 「絵」 は 「詩」 の内容の描写ではなく、 「詩」 も 「絵」 の説明ではありません。 「詩」 と 「絵」 は、それぞれが抽象的で純粋な 「音」 や 「色」 、「形」 だと考えられています。ですから、タイトルの「響き」は、音の響きであると同時に、色や形の響きでもあります。このような抽象的な作品は、一見何が描かれているのか明らかではありませんが、だからこそ、歌詞のない音楽を楽しむように、色や形の響き合いを味わうことができるのではないでしょうか。

- 〈A〉
- 1923年 水彩 紙
- 大原美術館蔵
第一次世界大戦後、共和制となったドイツでは、インフレや社会不安の一方で、自由な動きが活発となり 「黄金の1920年代」 を迎えます。美術においても、造形教育機関のバウハウスの開校や、ダダ、シュルレアリスムの前衛的な動きなど、モダンアートが豊かな成果を生み出します。この作品は、叙情性と精神性を感じさせる抽象を推進したパウル・クレーの作品です。クレーは、バウハウスで教鞭を執り、音楽理論を参考に独自の絵画理論を構築しました。〈A〉は、全体が菱形で区切られた画面に、風景らしい情景が描かれています。画面の中央付近にはパウル・クレーの頭文字でしょうか、PKと読める文字が見えます。空の黒い十字はなんでしょうか。少し不穏な雰囲気を感じます。これが戦闘機や鉄十字であれば、中央の小さな円と放射状に拡がる線は爆撃の様子にも見えてきます。第一次世界大戦には多くの美術家たちが戦地に赴きました。クレーもその一人です。この作品には戦争の傷跡が残っています。そして、クレーの作品総目録には、作品名に 「大災害、惨禍の始まり」 という補足があります。アルファベットの始まりの 「A」 は、華やかな1920年代に漂う不吉の始まりの暗示かも知れません。

- 〈立ち上がる青年〉
- 1913年 ブロンズ
- 愛知県美術館蔵
背の高いスタイルの良い男性です。手足が細長い独特のフォルムです。レームブルックは、ドイツ近代彫刻を代表する作家で、この作品のような、引き伸ばされた人体像を特徴としています。さて、この作品が制作された翌年、第一次世界大戦が勃発します。従軍したレームブルックは精神を病み、大戦後のモダンアートの隆盛を見ることなく、1919年に自ら命を絶ちました。1920年代から30年代のドイツは、繁栄の一方でインフレや社会不安が増大し、やがてナチスの台頭を招きます。ナチスは自らが理想とする人体像しか認めず、レームブルックの長く誇張された姿も、いびつで堕落したものとみなします。そして自由な表現を旨とするモダンアートは、ことごとく「退廃」のレッテルを貼られ、1937年にはそれらを断罪する「退廃美術展」が開かれます。ここで、レームブルックの作品は退廃の象徴とされました。レームブルックは自らの命だけではなく、その作品も抹殺されたのです。やがて第二次世界大戦が終わると、今度は弾圧されたモダンアートの復権がドイツ美術の重い課題となります。そして、その復権の象徴もまた、再びレームブルックでした。レームブルックは二つの大戦が生んだ悲劇の象徴といえるでしょう。
解説 友井伸一 (徳島県立近代美術館 上席学芸員)
展覧会の関連動画
本展の会期中、展覧会場入り口にて、ピックアップ作品の解説動画や美術館にて行われたサロンコンサートの様子など、展覧会にちなんだ4つ動画を、4K65インチの大型モニターでご覧いただけます。
作品解説:パウル・クレー「子供と伯母」
1937年
油彩 石膏、ジュード 72.0×53.0cm
徳島県立近代美術館蔵
シュプレンゲル美術館との交流
徳島県立近代美術館が、2013年から行っている、ドイツ・シュプレンゲル美術館(ハノーファー市)との鑑賞教育プログラムによる交流を紹介します。
ドイツ 20世紀 アート サロンコンサート ダイジェストver.
演奏:Trio Prière
2020年9月30日に展覧会場である、徳島県立近代美術館・展示室3で収録された無観衆でのサロンコンサートの模様です。フルver.も、美術館のyoutubeチャンネルでご覧いただけます。








