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「西洋美術との出会い」の詳細情報
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テーマ名称 西洋美術との出会い
展覧会名称 近代徳島の美術家列伝−明治から第二次世界大戦まで
説明 ここでは、明治維新の前後に、いち早く西洋美術と出会った3人の美術家を取り上げます。明治以降の日本美術は、西洋美術の影響を受けて大きく変貌しました。洋画や洋風彫刻が盛んに作られるようになり、伝統的な絵画の世界にも変化が現れました。この時代はいわば近代美術幕開けの時期であり、ここで取り上げる3人は、その先駆けともいえる存在でした。  原鵬雲は、江戸末期の1862(弘化2)年に、幕府の遣欧使に随行しパリでルーブル美術館を訪れました。美術館では毛筆と墨を使って、西洋名画を模写しています。現地で西洋美術を目の当たりにした最初の日本人画家でした。 井上辨次郎は、1873(明治6)年から1876(明治9)年にかけてイギリスに留学し、美術教育を受けました。病気のため中断して帰国しましたが、欧米で美術教育を受けた最も早い時期の日本人です。  守住勇魚は、1876(明治9)年に開設された工部美術学校に学びました。この学校は明治政府が作ったもので、西洋美術を体系的に教えた日本初の学校です。守住も明治初期の洋画を考える上で、欠かせない画家のひとりです。
コピーライト 徳島県立近代美術館 2006
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