出展テーマ詳細情報
「明治末から大正期−個性表現と画壇デビュー」の詳細情報
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テーマ名称 明治末から大正期−個性表現と画壇デビュー
期間 2017年10月21日(土)~2017年12月10日(日)
展覧会名称 廣島晃甫回顧展−近代日本画のもう一つの可能性
説明 東京美術学校に入学した晃甫は、日本画科で学ぶ一方、白馬会洋画研究所に入り、洋画の研究も行いました。美術学校の同級生で洋画を専攻していた萬鐵五郎や平井為成らと交流し、西洋の後期印象派から刺激を受けるなど、日本画の枠を越えた勉強を行ったようです。それら探求の成果が、一九一二(明治四五)年の卒業制作〈玉乗り〉(no.2)に結実します。現在では、萬の卒業制作〈裸体美人〉とともに、「アカデミズムから決別した大胆な表現」の作と評されることもある作品です。  卒業後の晃甫は、しばらく不遇の時を過ごしました。貧乏とデカダン(退廃)のエピソードが生まれた時代です。しかし当時の美術界で最高の舞台と目されていた帝国美術院美術展覧会( 帝展)の第一回展(一九一九年)で〈青衣の女〉(no.7 は再制作)が、翌年の第二回帝展で〈夕暮れの春〉(no.6)が連続して特選となり、画壇に劇的なデビューをはたしました。いずれも、その頃の帝展にはない新鮮な人物表現でした。当時の評論では、〈青衣の女〉の持つ優しく柔らかみのある感覚や色調に新しさを見出し、〈夕暮れの春〉については、日本画の材料を自由に使いつつ、それに捕らわれず新しい日本画の進路を切り開いている、などと評されています。  ちなみに、美術学校卒業後に使われるようになった雅号「晃甫(こうほ)」は、西洋の後期印象派の画家、ゴッホを漢字に置き換えたものと言われています。西洋に学びつつ新しい日本画をつくろうとする意気込みが、この雅号からも窺えます。
コピーライト 徳島県立近代美術館 2006
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