| 説明 |
晃甫は、版画の分野でも重要な業績を残しています。第一回帝展で特選を受賞する三年ほど前、窮乏生活を送っていた一九一六(大正五)年に、長谷川潔、永瀬義郎と日本版画倶楽部展を開催したのです。原画の制作から彫りや刷りまで一人の作家が行う創作版画の団体展として、日本で最初の試みでした。
晃甫は極めて斬新な作品を出品したようですが、現在それらは見つかっていません。日本画家として活躍し始めた頃、自身の版画作品を破棄し、版画制作を断念したと語られることもありました。しかし、彼はその後も制作を続けていたことが明らかになってきました。山本鼎を中心とする日本創作版画協会展に出品し、第一回展(一九一九年)の出品作〈独唱(露西亜音楽団)〉(no.13)などの木版画を残していたのです。
さらに一九二一(大正一〇)年には、「廣島晃甫木版画頒布会」が組織され、一層意欲的に取り組もうとしていました。帝展に〈青衣の女〉や〈夕暮れの春〉を出品しつつ、同時期に木版画を表していたことを考えると、木版画の平面的な色面処理が日本画の表現と響き合っているようにも思えてきます。
晃甫の木版画は、色彩の美しさとともに彫刻刀の彫りのなめらかさが特徴的です。それは、かつて学んだ漆工芸のなかで、塗り重ねた漆を刀で彫る技法と重なるものがあったからなのかも知れません。 |