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「戦争の時代」の詳細情報
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テーマ名称 戦争の時代
展覧会名称 清原重以知展
説明 戦局が進み時局がせっぱくしてくると、美術界はにわかにあわただしさを増し、清原も否応なく騒動に巻き込まれていった。1935年美術界の統制を意図していわゆる「松田改組」が発表されると、清原が所属する光風会は帝展不出品を決議す、この年他の団体の不出品作家とともに二部会展を組織した。翌年彼らの懐柔を目的として文部省美術展覧会招待展が開かれ、さらに翌年帝展に替えて新文展が開かれると、多くの作家は官展に復帰した。清原は二部会展、招待展新文展と、他の光風会会員と行動を共にしている。新文展では第1回展から無鑑査の処遇をうけた。  この頃から、画風はおもむきを変えている。第1回新文展への出品作である「雪暮れ」では沈んだ色調とフォーヴィスム風ともいえる荒々しい筆触で、雪の平野を歩む人の後ろ姿を描き、重く静かな詩情を描き出している。1940年代になると端正な描写を地味な色調で「知命図」や「牡丹」を描き、東洋的ともいえる気韻さえ漂わせている。  この頃の美術界では、「日本主義洋画」の創出が叫ばれ、続いて戦争記録画が画壇を席巻するようになる。美術学校時代からの親しい友人にも戦争記録画で世間の注目を集める者が現れていた。これらの作品は、清原なりの時代への回答だったといえるのではないだろうか。  しかし戦局がさらに悪化した1944年になると、より直接的に時代の要請に応えることを余儀なくされたらしく、銃後の家庭の姿を描いた「母子待機」(不出品、図録に参考図版を掲載)のような作品も制作している。
コピーライト 徳島県立近代美術館 2006
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