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「III 伝統表現の変容(2)-諸流派の交差と統合・展覧会の時代へ」の詳細情報
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テーマ名称 III 伝統表現の変容(2)-諸流派の交差と統合・展覧会の時代へ
展覧会名称 近代日本画への道程 「日本画」の19世紀
説明 日本の開国と明治維新、その後の時代の変動は、画家たちの表現や画家としてのありかたに変更をせまりました。幕府や各藩の御用絵師として権威をもっていた狩野派の画家たちは、職を失い生活に困るほどでした。明治初期には、日本在来の絵画よりも洋画が重視されたことで、多くの画家が苦難を強いられたのです。しかし、博覧会や絵画共進会といった展覧会が盛んに開かれたことで、彼らの制作活動も息を吹き返します。江戸時代にはなかったことですが、展覧会という舞台でさまざまな流派出身の画家たちが競い合うことになり、お互いに影響を受ける状況がつくられたのです。江戸時代の流派は明治にも継承されますが、表現は大きく変わっていくことになります。フェノロサの指導によって、伝統的絵画の再評価とともに西洋絵画の影響を強めていった時期でもありました。  狩野芳崖(No.41)や橋本雅邦(No.45)の作品には、狩野派の表現を、遠近感ある空間を持つものに変えようとする試みが見られます。横山大観や菱田春草ら次の世代の画家は、その試みを引き継ぎ、彼らを学ぶことで画業を出発させていきます。また、大観らの「新派」に対して「旧派」と呼ばれた画家たち、杉谷雪樵(No.51)、荒木寛畝(No.50)らも、同じ時代の課題のなかで、新しい表現を求めていました。京都における幸野楳嶺(No.34, 35)や岸竹堂(No.57)など、明治維新後の第一世代も、後の京都画壇をつくるうえで重要な役割をはたしています。
コピーライト 徳島県立近代美術館 2006
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