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「第2部 3.パリ国際大学都市日本館設立の経緯」の詳細情報 | |
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テーマ名称 | 第2部 3.パリ国際大学都市日本館設立の経緯 |
展覧会名称 |
薩摩治郎八と巴里の日本人画家たち |
説明 | 薩摩治郎八の生涯最大の事業がパリ国際大学都市に建てた日本館の寄贈であった。パリ国際大学都市とはパリに留学する多くの留学生のために各国が建てた宿泊施設の集合体である。日本館の建設にあたって、薩摩にこの話が持ちかけられ、資金調達が難しかった政府に代わり薩摩家がこれを提供した。薩摩はこの設立準備過程から深く関わり、設計は当時懇意にしていたフランス人建築家ピエール・サルドゥに、また日本館内部に飾る壁画の制作をパリ画壇の寵児藤田嗣治に依頼した。藤田は「西洋文明が東洋へ輸入される」というテーマで3連の大壁画〈欧人日本への到来の図〉と、馬の群像を描いた作品を制作して、日本館開館時に館内にかけられた。これらは現在も日本館の広間に飾られている。 1929年5月、日本館の開館式にはフランス大統領、首相など要人が参加して、盛大に執り行われた。式の後で薩摩はホテル・リッツで晩餐会を催し、この場で彼はその功績を讃えられ、フランス政府からレジオン・ドヌール勲章が与えられた。日本館は今なお多くの留学生を受け入れ、日仏の文化交流に大きな役割を果たしている。 |
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