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| 「第2章 美術に見る日本赤十字社の歩み 2日本赤十字社誕生」の詳細情報 | |
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| テーマ名称 | 第2章 美術に見る日本赤十字社の歩み 2日本赤十字社誕生 |
| 期間 | 2017年4月22日(土)~2017年6月11日(日) |
| 展覧会名称 |
今に生きる「人道博愛の心」美術に見る日本赤十字社の歩み展 |
| 説明 | 博愛社は1877(明治10)年に始まりましたが、まだ世界の赤十字社の一員ではありませんでした。赤十字社となるためには、日本政府がジュネーブ条約(赤十字条約)に加入する必要があったのです。 そこで博愛社は、1883(明治16)年にベルリンに派遣された柴田承桂(内務省御用掛)や、翌1884(明治17)年にヨーロッパ視察に出かけた大山巌(陸軍卿)、橋本綱常(軍医総監)などに、ヨーロッパにおける赤十字事業とジュネーブ条約の加入手続きについて調査を依頼しました。幕末に来日した医師、博物学者シーボルトの2人の息子も、熱心に調査に協力しました。当時2人は日本で暮らしていて、博愛社の社員でした。この調査を受け、博愛社は政府に条約加盟に関する建議書を提出しました。政府も理解を示し、1886(明治19)年6月5日ジュネーブ条約に加入、11月15日勅令により条約加盟を公布しました。博愛社は翌1887(明治20)年5月20日、日本赤十字社と改称し、9月2日赤十字国際委員会から正式に赤十字社の一員と認められました。ちなみに全権公使としてジュネーブで条約書に記名調印したのは、旧徳島藩主だった蜂須賀茂韶です。 |