| 説明 |
大久保の作品は、初期作品からランド・アートを通じて、表現の要素を厳選したストイックな印象を与えます。しかし、その素顔は意外にも、思いつくまま、自由に気ままに制作していく子どものような一面を持っています。
それは初期から現在に至るまで、発表の機会がなくても積み重ねてきた多くのドローイング類などに表れています。気に入ったモチーフを飽きるまで繰り返し描いたり、時には利き手ではない左手で描くこともあります。また、開いた封筒に描いたものや、トランスクリプションなど、初期作品と類似する作品も見られます。
これらは一見すると過去の繰り返しのようにも見えますが、そこには封筒に描くことの意味の問い直し、線の集積が面になるという足し算の考え方の実践、異なった画材や紙によるトランスクリプションの手法の検証、本当に何も考えずに(ノーアイデアで)描くことが出来るかという試みなど、常に「新しみ」を求める再創造の想いがあります。大久保におけるこの「新しみ」は、大久保が敬愛する松尾芭蕉の俳諧の精神「新しみは俳諧の花」に通じています。遊び心やユーモアを失わず、しかも遊びに終わらせずに「新しみ」を追求する姿勢や行為は、大久保の原動力なのです。
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