| 説明 |
2011年頃から、大久保は普段の散歩の最中に拾ったものによるコラージュを、毎日のように制作しています。これらの〈日常の歩行〉シリーズは、一年におよそ500点を超えるペースで現在も日々制作中です。
歩行中に拾われた「もの」は、それが元々あった場所や文脈、意味付けから解放されたオブジェ(ものそのもの)になります。その時、オブジェは本来持っていた固有の性格を捨て去って、どの場所にでも共通する一種の普遍性、国際性を備えます。それにもかかわらず、大久保が拾ったオブジェには、その居場所から断ち切ることのできない個別性、ローカル性が深く刻印されているように感じます。それは、大久保の歩行がその土地の文化や人間、歴史や土着性と深く関わるものだからでしょう。ローカルの中にこそ普遍はあり、ローカルからはじめなければ到達できない国際性があることを、大久保の歩行、オブジェ、コラージュは教えてくれます。歩行時の拾得物による〈日常の歩行〉シリーズは、長らく自然や大地と関わる創造を続けてきた大久保のエッセンスなのです。
しかし、これらのコラージュが物語るのはそれだけではありません。大久保の作品は難解でストイックな印象がありますが、これらのコラージュはイメージをたどる喜びや、構成の心地よさ、ユーモア、そして繊細さや初々しさなどが感じられ、おしゃべりで冗舌な作品です。そこに、大久保の素顔の伸びやかな一面を垣間見るようです。体育会系・独学の無骨で老練な手から日々生まれてくる、これら1点1点のコラージュは、大久保英治という人間を構成する1つ1つの細胞なのかもしれません。現在進行形・大久保英治の現在の姿がここにあります。
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