作家詳細情報
「原鵬雲」の詳細情報
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作家名 原鵬雲
作家名(ヨミ) ハラホウウン
作家名(英字) HARA HOUUN
出身地 徳島県徳島市
生没年月日 1835年~1879年
略歴 日本で最も早く、ヨーロッパで西洋美術を目にした画家。徳島藩の銃卒で現在の徳島市秋田町に住んだ。字は士龍、通称は市助、のちに介一。1847(弘化4)年徳島藩の御用絵師守住貫魚に入門し住吉派の絵を学んだ。1862(文久2)年、幕府が派遣した遣欧使節団に賄方兼小遣者として随行した。当時江戸屋敷に勤めていた原を、徳島藩が送り出したものと思われる。原は雑役に追われながら、海外の情報を藩に報告していたようだ。渡欧の間、各地で写生を行った。イギリス、ロシア、エジプトなどで描いた写生が遺されていたという。パリ滞在中にルーブル宮を訪ね、アングルの〈グランド・オダリスク〉を描き写したことは注目に値する。維新後は画学の教員となり、1870(明治3)年から徳島県で、1874(明治7)年からは広島師範学校に勤務した。(「開館10周年記念展 近代徳島の美術家列伝」図録 2000年)
作品情報 所蔵品あり
関連用語 徳島ゆかり   
当館開催の特別展出品歴 近代徳島の美術家列伝−明治から第二次世界大戦まで
西洋美術との出会い 徳島の4人 原鵬雲、井上辨次郎、守住勇魚、守住貫魚
作家番号:10694 (日本)
コピーライト 徳島県立近代美術館 2006
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