展覧会詳細情報
「高松次郎展」の詳細情報
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名称 高松次郎展
期間 2015年4月7日(火)~2015年7月5日(日)
展覧会場 国立国際美術館
展示作品数 1
概要 高松次郎(1938-98年)は、1958年に東京芸術大学美術学部絵画科油画専攻を卒業後、1961年から読売アンデパンダン展で作品を発表する。62年に中西夏之、赤瀬川原平とともに美術集団『ハイレッド・センター』を結成しハプニングを繰り返し行う。60年代中頃からは国内の美術展に出品して受賞を繰り返し、国外においてもベネチア・ビエンナーレ(1968年)、ドクメンタ(1977年)等において、日本を代表する美術家として紹介された。その名は内外に広く知れるようになる。美術かとしての高松は、自分が認識するもの即ち対象と概念との関係を表現してきた。自らの思想を具体化するために、使用する素材や制作する技術は限定せず、意図に叶った表現形式を用いる。制作活動は継続的に進展し、幾つものシリーズを同時並行的に展開させた。<点>、<紐>、<影>、<遠近法>、<波>、<弛み>、<単体>、<複合体>、<空間>、<形>など、修辞的表現を排したシンプルなタイトルによる作品のシリーズ化は、物理的実在と視覚的認識とのずれを多角的に表現するものであり、対象と人間との関係を問うものである。こうした高松の概念的な試みは、1960年代における物質をめぐる人間中心主義を終わらせ、言葉とものの関係を構造的に考える70年代美術の始まりの契機を作った。高松が『もの派』を初めとする同時代の美術家に与えた影響は計り知れない。また、高松の発言や動向は、美術批評家からも強い興味がもたれ、思索家としても注視される存在であった。これは高松がいかに稀有な存在であったかを証明している。高松の紹介という点においては、日本では既に回顧形式の展覧会を含む展覧会が公立美術館で数回開催されるとともに図録が刊行され、またドローイングと写真の作品集や著作集も刊行されている。それらではアトリエに保管されていた未発表作品や資料も紹介されている。本展は、そうした研究成果を踏まえつつ、作品(絵画と立体作品)、ドローイング、エディション作品、装幀の仕事、記録資料、文献の再調査を行った上で、全生涯に焦点を当てた回顧形式の展覧会を目指す。最大の特徴は、高松の思考の広がりや変化をクロノロジカルに確認するとともに、謎とされてきた各シリーズの関係性を検証する点にある。また、出品作品の選定は、数多の資料の調査に基づく絵画や立体作品のレゾネ的な情報を元にする。ドローイングの選定は、既刊のドローイング・レゾ
コピーライト 徳島県立近代美術館 2006
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