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所蔵作品展2000-III |
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●1960年代 |
1960年代を象徴する美術の動向として、ポップ・アートがあります。その中でもアンディ・ウォーホルの取り上げた女優マリリン・モンローは有名です。映画という複製芸術によってスターとなったモンローという存在は、実際の彼女がどうかと言うことは問題ではなく、スクリーンに繰り返し映し出されることによって知られていったのです。ウォーホルがシルクスクリーンと言う手段で、おびただしい数のモンローを作り出したのも、スターの認知のされ方に対応しているのです。ここに取り上げられているのは、虚の人間像の集まりなのかもしれません。 また、彼のモンローに対する関心は、彼女の死によるものです。実際に、彼がこの時期に取り上げたジャクリーン・ケネディ(暗殺されたケネディ大統領の夫人)、エリザベス・テーラー(死の噂があった)など、なにがしか死のイメージと結びついているものなのです。社会的に、彼女たちが華やかな存在であること、作品にする際派手な蛍光色が用いられることによって、何か明るい印象を持たれがちですが、その実はとても暗い意識に支えられたものなのです。ウォーホル以外のポップ・アートの作家からは、彼のように明確な死に対する意識を感じることはできません。ただ、虚のイメージを選択したと言う点では、共通していると言えます。
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●1960年代 |
横尾忠則(よこおただのり)が本格的な画家宣言をしたのは1980年代に入ってからのことです。それまでの横尾はグラフィック・デザイナーとして活躍していましたが、その表現はデザインの世界にとどまらず、美術の世界とのボーダー・ラインを揺さぶり続けます。横尾のようなデザイナーの作品がなぜ美術の世界で問題にされえたのでしょうか。それは、美術をめぐる状況の変化と関係しているからなのです。60年頃から、美術の世界では「反芸術」と呼ばれる、これまでの絵画や彫刻といったジャンルではおさまらない作品が生み出されました。その結果、デザインのような別ジャンルから美術に関わることも可能となります。 横尾の描き出すイメージは、例えば、映画からとられたものです。このことから、アメリカのポップ・アートの影響が考えられるかも知れません。しかし、横尾の場合は選んだイメージをより俗っぽく描くのが特徴です。当時、デザインは美術より下位のものと見なされていました。デザイナーである彼は描く内容によって、絵画を俗な世界へと引きずり降ろそうとしたのです。
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●1970年代から現代 |
1960年代の末から70年代にかけては、洋の東西を問わず、美術の動向がどんどん観念的になっていきました。文字だけを使った作品、木の棒や鉄板などをそのまま提示した作品など、ある意味で現代美術の作品の取っつきにくさはこの時代に用意されたのかも知れません。当然、その最先端の作品で人間像は取り上られなくなりました。しかし、そのことが作品のテーマとして人間像を取り上げる意味が失われたことを意味するわけではありません。80年代に入って具象的な絵画が再び見直され始めたのにともない、様々な人間像が生み出されたのですが、この時期に急に現れたものではなく、その契機は以前から準備されていたと考えるのが自然でしょう。 アバカノヴィッチの作品<群衆>のシリーズが発表されたのは80年代の半ばのことです。頭を持たず、皮一枚だけで作られた人間像。彼らは考えることも、過去の記憶も奪い去られた存在なのでしょうか。 否、むしろそれでもなお屹立(きつりつ)している姿に、そしてそれが群衆として現れていることに、現実には存在しない頭部の存在を思い起こさせるのです。 アバカノヴィッチは1930年、ポーランド出身です。彼女は幼少期を第二次世界大戦とともに過ごしたのです。もちろん、戦争が終わってからも旧ソ連の支配の下、様々な抑圧があったことは想像に難くありません。ポーランドの近い過去を照らし合わせてみると、この像はぎりぎりのところで抑圧に耐えてきた人々の姿のように思えます。 【執筆: 主任学芸員 吉川神津夫】
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(所蔵作品展2000-III 解説パンフレットより) |
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完 |
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