T R A U M   V O N   W I E N    G R A P H I S C H E   K U N S T E   I N   W I E N   U M   1 9 0 0

   

 

2. グラフィック万歳!

 

 モーザーのバラの花の少女像は、思いにふける姿を微妙なトーンでとらえ、 可憐さと憂愁が同居する不思議な印象をたたえています。ウィーン風の夢や憧れのイメージ (どちらかというとオジサンの)を示す好例といってよいでしょう。 世紀末のウィーンは例えばヌードを描くにも大義名分が必要という時代。 むしろ自然や寓話や装飾文様によって、 言外のイメージを象徴する手法が一つのブームになっていました。 描き手と受け手が視線を共有し得た、イラストの蜜月時代だったといえます。

 この石版画は、美術雑誌『ヴェル・サクルム(聖なる春)』の付録として制作されたものです。 クリムトを初代会長に「時代にはその芸術を」とスローガンを掲げたウィーン分離派の機関誌として 1898年に創刊されたヴェル・サクルムは、装丁からページレイアウトまで、 ありとあらゆる装飾デザインの可能性が凝縮された、珠玉の作品集になっています。

 大きなサイズで街角を飾るポスターが隆盛したのもこの時代であり、 分離派を語る際にしばしば引き合いに出されるのも彼らのポスターです。 ただし、莫大な広告費をつぎ込んで都市のすみずみにメッセージを送りつけるような今日の広告とは何かが違います。 図像とそのメッセージを受け取る観衆と芸術家の間に、価値観やセンスの共有があってこそ、 近寄りがたいほどに徹底した「ウィーン風」の視線が成立したのではないか、と思うわけです。

 そのグラフィスム(画風)の水準を、抜きん出た才能で導いたのはこのモーザーでありホフマンでした。 そして彼らを含め、グラフィック分野に力を発揮した分離派周辺の作家たちは、 既成の権威から訣別したけれど決して孤独な芸術家ではなく、 イメージを楽しむ受け手との信頼関係の中で、 他の都市にも類をみないようなウィーン・グラフィスムを醸成し得たはずなのです。