徳島県立近代美術館
学芸員の作品解説
絹谷幸二 蒼空のある自画像
蒼空のある自画像
1977年
顔彩 キャンバス
194.3×259.5
絹谷幸二 (1943-)
生地:奈良県奈良市
データベースから
絹谷幸二蒼空のある自画像
他の文章を読む
作家の目次 日本画など分野の目次 刊行物の目次 この執筆者の文章
他のよみもの
所蔵作品選1995

絹谷幸二 「蒼空のある自画像」

久米千裕

鮮やかな青空を背景にこちらを見つめる一人の男性が描かれている。均一に塗られた青色と、稲妻のような線で陰影が表現された色彩豊かな皮膚の対比がなんとも美しい。空には和凧とジェット機とミサイルが飛んでいる。男性の身体は原爆ドームを想起させる丸みを帯びた構造物と木の板でできており、中から皮の剥けたリンゴと蔦が見える。首には蝶ネクタイと鎖と大砲。口から言葉をふき出し、筆を咥えている。そして、目からは涙が流れている。紙幅の都合上、描かれるモチーフすべてに触れることはできないが、こうした一見脈略のないイメージが、異次元的な空間を演出している。
タイトルは〈蒼空のある自画像〉。タイトルから分かる通り中心の人物は作者の絹谷幸二自身である。古都・奈良に生まれた絹谷は幼いころから寺院や仏像に親しんでいた。東京藝術大学油画科在学中、古美術研修に参加し、火災によって焼損した法隆寺金堂壁画を見学する。絹谷は金堂壁画が持つ圧倒的な力強さに深い感銘を受け、同大学院壁画科に進んだ。その後、イタリアに私費留学。ヴェネチア・アカデミアに入学し、アフレスコ(伊、英:フレスコ)古典画法および現代アフレスコ画の研究に取り組んだ。
絹谷がこの作品を描いたのは、留学から帰国後、〈アンセルモ氏の肖像〉(1974年)で安井賞を最年少で受賞し、美術界のニュースターとして注目が高まっていた時期である。そして、この絵を第45回独立展に出品後、文化庁芸術家在外研修員として再度イタリアに渡った。
それにしても、着々と実績を上げる芸術家はなぜ涙を流す自画像を描いたのだろうか―。
絹谷は本作について「穂先の長い筆は漆喰壁に壁画を描くときに使う専用の筆。イタリア時代から愛用するこの筆を口にくわえているのは、言葉にならないものを差し示す画家の決意表明にほかならない。」(『絹谷幸二 自伝』日本経済新聞社出版社、2016年、pp.127-128)と語っている。70年代のこの頃、世界は争いごとが絶えず、絹谷は戦争や平和に強く関心を抱くようになっていた。政治的・経済的危機は深刻化し、画家がこれから向かうイタリアでもデモや学生運動、テロ事件が相次いでいた。1943年に生まれ戦後すぐの時代を幼少期に経験した絹谷が、この状況に心穏やかでいられないのは自然なことである。
こうした厳しい世界情勢の中で本作品は描かれた。涙を流す自画像からは、凄惨な事件に心を痛めながらも画家として向き合っていくという強い意志が伝わってくる。まっすぐこちらを見つめる目が「言葉にならないもの」を訴えかけているようだ。

徳島県立近代美術館ニュース No.125 April.2023 所蔵作品紹介
2023年04月1日
徳島県立近代美術館 久米千裕