徳島県立近代美術館
学芸員の作品解説
学芸員の作品解説
戦争期
1958年
油彩 板
91.5×182.3
1958年
油彩 板
91.5×182.3
中村宏 (1932-)
生地:静岡県
生地:静岡県
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中村宏戦争期
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徳島新聞 美術へのいざない
中村宏 「戦争期」
吉原美惠子
〈戦争期〉という作品には、戦場の一場面が描かれています。描かれている場所は、現在の東京都小笠原村にある硫黄島。都心から1200km余り南下した太平洋上に浮かぶ小さな島です。島内唯一の山である擂鉢山(すりばちやま)は島の南西に位置し、標高169mのその頂上からは島全体が見渡せるといいます。のどかな洋上の島のようですが、この名前を聞いて思い起こすのは、1945年2月の米軍との攻防戦でしょう。爆撃は3日間におよび、米空軍のB-29大編隊による空爆と海軍の大艦隊からの艦砲射撃を浴びて、一夜にして擂鉢山の形が変形したとも語り伝えられています。爆撃後は、米軍が島の南岸から上陸し、激しい地上戦がありました。粘る日本軍との戦いに散った兵士たちは、「勇気ある兵士の象徴」として今でも米軍では語り継がれていると聞きます。双方に夥しい数の犠牲者を出しながら、ついに日本軍は陥落し、硫黄島の悪夢のような戦闘の日々は、ひとまず終わりました。3月下旬のことでした。
当時、日本軍は島内に複数の飛行場を設置し、戦闘機の基地として備え、陸・海軍の兵士たちは、数ヶ月かけて地下壕を掘り、持久戦に備えていたといいます。海から眺める擂鉢山の正面の山裾には、コンクリート壁で築かれた砲台があり、そこから海に向かって水平砲の砲身が居並んで構えられていたのです。
中村宏は、その戦闘のさまを描きだしました。が、彼は従軍していた絵描きではありません。実際の場面を見てきたわけではありませんが、取材を重ね、自分の絵の中にさまざまな場面を繋ぎ合わせながら、場面を構築しています。モンタージュといわれる、モチーフを繋いで作品を構成してゆく方法です。
画面左に描かれている人物は、島に上陸した米軍の兵士たちでしょうか。身体の動きを強調するように描かれ、画面中央に横たわる大きな砲口をさらした砲身の姿とは対照的です。これは日本軍の水平砲で、遠くに見えるのが擂鉢山の姿でしょうか。砲撃のすさまじさを語る、無残に砕かれた山の斜面のさまを、中村はどんな思いで描いたことでしょう。かつて硫黄や燐資源の採鉱の場所であったことを匂わせるように、緑のない褐色の島の土の彼方には、真っ黒な空にぽっかりと月が浮かび、シュルレアリスムの影響を強くにじませています。ぴったりと焦点を合わせている、画面中央近くに描かれた銃口から発射された銃弾によってその中心を貫かれたようにも見えます。絵の前に立つと、救いようのない暗い画面に、胸が塞がれるような思いがします。
中村宏は、1932年静岡県に生まれ、55年に日本大学芸術学部美術学科を卒業しています。1953年に山下菊二、尾藤豊、桂川寛、池田龍雄らと日本青年美術家連盟を結成し、同年から1959年まで、井上長三郎、丸木位里、吉井忠らの結成した前衛美術会の主催するニッポン展に出品していました。この作品は、1958年に描かれた〈内乱期〉、〈戦争期〉、〈平和期〉という三部作の一つです。
1950年代の中村の絵画は、戦後のレアリスム運動の流れにある「ルポルタージュ絵画」と言われることがあります。ルポルタージュとは、記録して、報告することです。その対象を探りながら活動をしてきた中村は、自らの絵画自体もある種の事件であるというふうに考えるようになりました。表現する、すなわち事件を引き起こす芸術家。それは、真摯に社会や表現世界を見つめ、自らの制作を展開してきた骨太な絵描きの姿であるかもしれません。私たちは彼のルポルタージュ絵画世界に潜む、深い史実への想いと洞察を見出すことができるのです。
徳島県立近代美術館ニュース No.74 July.2010 所蔵作品紹介
2010年7月1日
徳島県立近代美術館 吉原美惠子
2010年7月1日
徳島県立近代美術館 吉原美惠子