徳島県立近代美術館
学芸員の作品解説
しののめ
1955年
油彩 キャンバス
149.0×224.0
井上長三郎 (1906-95)
生地:兵庫県
データベースから
井上長三郎しののめ
他の文章を読む
作家の目次 日本画など分野の目次 刊行物の目次 この執筆者の文章
他のよみもの
所蔵作品選1995

井上長三郎 「しののめ」

江川佳秀

 初めて井上長三郎の作品を目にすると、戸惑いを覚える人もいるのではないでしょうか。多くの日本の洋画は、見る人を魅了する色使いとか、マチエール、あるいは見る人の心に訴えかける情緒などが、画面のどこかに用意されているものです。絵の見どころといっていいかもしれません。絵の世界に入っていくために、そのようなものを手掛かりとする場合もあるはずです。
 ところが井上が描く作品では、そのようなものが慎重に排除され、時には見る人をつき放したような印象さえ与えることがあります。
 この作品は、第3回日本国際美術展の出品作です。この展覧会は世界各国から代表的な作家を招待して開かれましたが、井上も日本代表の一人として招かれています。
 画面には3枚のキャンバスと、それを背にうたた寝をする男の姿が描かれています。3枚の絵は、井上がそれまで描いてきた作品に似ています。横たわる男は井上自身でしょうか。自作を背にした自画像なのかもしれません。
 画面は暗褐色にまとめられ、重厚な存在感をみせています。この作品でも日本の洋画に特有な湿っぽい情緒は厳しく抑制され、容易に作家の心情に立ち入ることを拒むかのような寡黙な雰囲気があります。
 井上は戦前1930年協会展、独立美術協会展で華々しい注目を集め、1940年にはシュールレアリスムを基調とした美術文化協会に会員として迎えられました。戦争が激しくなると美術家は戦意を高揚する作品を描くことが求められるようになり、美術文化展でも戦争記録画が幅をきかせるようになります。すると井上は友人たちと新人画会というグループをつくり、自由な発表を続けています。
 戦争が終わり時代が変わると、それまでの画壇の中心人物たちは息をひそめてしまい、前衛的な制作を続けてきた井上たちが、戦後間もない時期の美術界を担うことになります。
 井上は戦前の前衛美術運動を代表する作家の一人であり、戦前と戦後を結ぶ作家の一人だとも言えるでしょう。しかしシュールレアリスムが、人間の情念の奥底にある無意識の世界を描き出そうとしたのに対して、井上の抑制的な作品は特異な存在でした。また井上と同じ時に日本国際美術展に出品した日本作家の中でも際立った存在でした。
 昭和の美術を語るとき決して欠かせない作家であるにもかかわらず、一般的な人気とはほど遠い存在であったのは、このようなことも原因となったのかもしれません。
徳島新聞 美術へのいざない 県立近代美術館所蔵作品〈13〉
1993年10月9日
徳島県立近代美術館 江川佳秀