徳島県立近代美術館
学芸員の作品解説
草園の図
1926年
絹本着色 軸装
26.7×56.3
入江波光 (1887-1948)
生地:京都府
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入江波光草園の図
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入江波光 「草園の図」

森芳功

 夏の草園であそぶ母と子のゆったりした時間が伝わってくるような作品です。画面の左側には、白い花に手をのばす若い母親が描かれています。葉を茂らせた大きな木の近くには乳母車が止まっていて、前かけをつけた子どもが、木陰でおとなしく座っているのが見えます。母親が与えたのか、子どもは小さな花を手にしているようです。
 入江波光(いりえ はこう 京都生まれ 1887-1948)は、大正期の日本画に大きな影響をおよぼした国画創作協会の中心メンバーの一人でした。これを描いた1926年(大正15年)頃は、イタリアでの取材をもとにした〈南欧小景〉を国画創作協会展に出品する一方、まだ幼かった娘や息子を題材にして、母と子の姿をしばしば描いています。〈草園の図〉も、自身の妻子を描いたものの一つなのです。
 しかし、この作品のやわらかい光は、どこからやってくるのでしょうか。青々と茂る樹木の奥から、葉と葉の間を通り抜けてようやく達する、遠くからやってきた光を思わせるものがあります。画面のすみずみが、それ自身淡く輝いているように感じさせることもあります。描かれた木々や人物は、物理的に照らされているのでなく、いったん画家の精神をとおってきたかのような不思議な光をたたえているのです。
 薄い絵具を塗り重ねた絹地の画面が、照明の光をやわらかくはねかえす効果など、高い技巧なしには生まれなかった表現ですが、そこに作家の精神のありようが映し出しだされていることもまた確かでしょう。同じような光は、彼の大正期後半の作品に見ることができるのです。たとえば同じ年の〈南欧小景〉は、南欧の青い空と教会を乳白色に煙るように描き、どこか現実ばなれした光をただよわせています。それは、浄土へのあこがれを描いた〈彼岸(ひがん)〉(1920年)から表れている感覚であり、〈草園の図〉に結びついています。大正期にあった人間の内面や精神の深みを見つめようとする志向が、波光の作品の中に、作家の精神を通過したやわらかな光を与えたといえそうです。
 その一方で、1926年前後に描かれた母子の表現に、宗教的な題材の作品にはない現実感を指摘することもできます。〈草園の図〉でいえば、籐で編んだ乳母車など、細部をおろそかにしない描写の他に、左側の女性が農家の着物を着ていることもその印象を強めています。どちらかといえば質素な服装に、幻想だけに流れない生活感を感じさせているのです。そこには、自らが信じる「芸術の純粋性」を守るため、画家としての名声を求めず、庶民の一人として生き抜こうとする生き方を読みとることができるかも知れません。やわらかな光と美しい自然につつまれた理想郷のような風景のなかに、あえてつつましやかな人物を描き入れたところに作家の深い思いを感じざるをえません。
 1928年(昭和3年)に国画創作協会が解散してから、波光は画壇での活動をやめ、人の求めによって描くこともありませんでした。母校の京都市立絵画専門学校で後進を指導し、法隆寺金堂壁画などの模写に力を注ぎながら、ひっそりと制作活動を続けます。大正期にはぐくんだ生き方をつらぬいたのです。
 この時期の波光の表現は、「生涯を通じても、珍しい甘美さを示している」(内山武夫)と評されることがあります。昭和に入ると、苦渋をはらんだ水墨画の表現へ移っていくだけに、この期の甘美さは一際印象深く感じられます。〈草園の図〉は、精神的なものへのあこがれが夢幻感ただよう光を生み、そのうえに、純粋に生きようとした画家としての理想や家族へのやさしい視線が重なることでつくりだされた、ひとときの間おとずれた幸福な時代の表現だったともいえるのです。
徳島県立近代美術館ニュース No.42 Jul.2002 所蔵作品紹介
2002年6月
徳島県立近代美術館 森芳功